ん》のくきる時は漕いでゐる舟の櫂でも艫でも皆、かずの子を以てかずの子|鍍金《めつき》をされてしまふ位である。今雜魚はその生殖期の特徴たる赤い線を身側に鮮かにして、騷ぎまはつてゐる。と見るや否や土地の人は忽ち車を止めさせた。人々は渚《なぎさ》に歩み寄つて、各※[#二の字点、1−2−22]手取りにせんとした。安成子も早速に水の中へ手を突つ込んで首尾よく手づかみにしたのは、時に取つての無邪氣な餘興であつた。宿へ歸つて鹽燒にさせて、先生大得意で天賜の佳肴に一盞の麥酒《ビール》を仰いだところは如何にも樂しさうであつた。但しその魚の大さ三尺五寸也、十倍にして。
 十一日。人力車をやとひて馬返しまで下る。途中、かごの岩、屏風岩など、いづれも他所にあつては名を高くするに足りるものであると賞した。馬返しより自動車を頼んで日光へ下り、東照宮大猷廟《たいいうべう》その他は今囘は遙拜のみして、稻荷川を渡つて霧降の瀧へと向つた。瀧見臺の茶屋まで車で行ける樣になつてゐるので勞は無い。そこから細徑《ほそみち》を少し行くと、俄然として路は巖端《いははな》に止まつて、脚下は絶壁の深澗になり、眼前の對《むか》ひの巖壁に霧
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