あるが、それも淺間山へ飛び込めといふやうな譯ではない。華嚴へ飛び込みたいやうな氣のする人があつたら、六十三歳から瀧壺道を七年かゝつて造つた人にも慚《は》ぢて、せめて故郷へかへつて半年なりと鍬でも鋤でも振廻して働いて見て貰ひたい。「石塔に鉢卷」といふ壯んな諺が日本にはあるが、石塔になつた氣で鉢卷をして働いたなら、華嚴の瀧はその人の棺前の華では無くて、必ず酒の下物《さかな》たる好い眺めであらう。と先亡諸靈を哀《かなし》むにつけて、つく/″\と心中に思つた。

     六

 復《ふたゝ》び艇へ戻つて寺ヶ崎の端《はな》を廻り、上野島かけて大日崎の方を走ると、艇の位置が變るにつけて四圍の山々も動き、今までは見えなかつた山が姿をあらはしたり、今まで見えた山が隱れて行つたり、青山《せいざん》翠巒《すゐらん》應接にいとまがない。その中に足尾方面の山だけが、その鑛毒に蒸《む》されて焦枯《やけが》れた林木の見るも情ない骨立《こつりつ》した姿を見せてゐる。あれだけに育つた木々だから、何とかしたらば繁茂をつゞけられるのだらうが、二十世紀的、資本的、ドシ/\バタ/\的に無遠慮に採鑛精煉の事業をやられては、自
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