つひや》し、それまでは世に知られ無い神祕境であつたのを遂に開いたのである。その事は空海の性靈集中の碑文に見え、またそれによつて書いたと見える元亨釋書《げんかうしやくしよ》にも見えてゐる。神護《じんご》景雲《けいうん》から延暦《えんりやく》にわたつての事で、弘法大師よりは少し前の人である。この頃は有力の佛者が諸所の山々を開いた時代で、小角《をつぬ》が芳野を開き、泰澄《たいちよう》が白山《はくさん》を開いたのなどは先蹤《せんしよう》をなしてゐる。上人の所持物だつたといふものが眞實であるならば、相當に貴族的有力者的生活者だつた事が窺ひ知られる。おもふに地方において中々の權力地位を有してゐた人であつて、それでこの山をも開き得たのであらう。元來この山の名は二荒山であつて、音讀して美しい字面を填《は》めて日光山となつたのは、たとへば赤倉温泉の中《なか》の嶽《たけ》が名香《なか》の嶽《たけ》の字で填められ、名香《みやうかう》を音讀して妙高山となり、今日《こんにち》では妙高山で通るやうになつたと同じである。また二荒を普陀落《ふだら》にあてゝ觀音所縁の山名に通はせ、それで觀音をきざみ、勸請《くわんじやう
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