の詩人で、自分からも、仍《よつ》て諧《かな》ふ夙《つと》に好む所に、永く願はくは人間を辭せん、といつてゐる位に、名山の中に飽《あく》までも浸りたがつた先生である。その李太白先生も仰觀の一語を道下《いひくだ》してゐる。どうも瀑布そのものが高處より落ちるところがその生命なのであるから、仰ぎ觀るのがよいに相違無く、さうしてからこそ、初めて驚く河漢の落つるを、半《なかば》灑《そゝ》ぐ雲天の裏《うち》、なぞといふ詩句も出來て來るのである。また遠望するのも宜しい。同じ人が、日は香爐(峯の名)を照して紫煙を生ず、遙に看る瀑布の長川を挂《か》くるを、といつてゐるのは遠望の觀賞である。華嚴は遠望する譯にはゆかぬが、瀑布の下へは幸にして下りられる。そこで瀧見臺より少し下つて、休み茶屋のあるところから谷底へと下りた。丁度瀧見臺の眞下へ下りるのだから、徑は甚だ危急であるが、老人の自分が靴をはいたまゝで下りられるのであるから、さして老人の冷水業といふほどでもない。勿論|巖岨《いはそば》を截《き》り削つて造つた道だから、歩を誤つては大變であるが、鐵の棒を巖へ立てたり、力になるやうに鐵線《はりがね》を架《わた》して
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