かんとする時のさまいと心地よく見ゆ。たとへば肥へて丈高き女の、雪と色白きが如し、眉つき眼つきは好くもあれ悪くもあれ、遠くより見たるに先づ心ひかる。されど此花の姿の、何となく漢《から》めきたるは、好かぬ人もあるべし。さる代りには、大寺の庭などに咲きて、其漢めきたるところあるがために褒めたゝへらるゝこともあるなるべし。

      梨花

 李の花は悲しげなり、梨の花は冷《つめた》げなり。海棠の花は朝の露に美しく、梨の花は夕月の光りに冴ゆ。桜の花は肉づきたり、梨の花は※[#「※」は「やまいだれ+瞿」、第3水準1−88−62、137−3]《や》せたり。花の中のそげものとや梨をばいふべき。飽まで俗ならで寂びたる花なり。異邦《ことくに》には色紅なる千葉のものもありときく。さる珍しきものならぬも、異邦のは我邦のより花美しきにや。また或は我邦にては果《み》を得んとのみ願ひて枝を撓《た》め幹を矮くするため、我も人もまことの梨の樹のふり花のおもむきをも知ること少く、おのづから美しきところを見出すをりも乏しく過ぎ来つる故にや。詩に比べては歌には梨の花を褒め称ふること稀なり。

      薔薇

 刺あるをもて薔薇の花を、心に毒ありて貌美しき女に擬《よそ》へんは余りに浅はかなるべし。刺も緑の茎に紅く見えたる、おもむき無きならず。我さへ触れずば憎かるべきにもあらぬを、よそに見るだに忌はしき人の心の毒に比べんは如何にぞや。花の色の美しき、香の濃き、枝ぶり、葉ぶり、実のさま、刺のさま、いづれか厭はしかるべき。支那西洋の人たちの此花を愛づる、まことに所以あり。白きが暁の風に嘯きたる、紅きが日の午に立てる、或は架に倚りて※[#「※」は「食へん+昜」、第4水準2−92−64、137−13]《あめ》の如き香気を吐きたる、或は地に委して火に似たる光※[#「※」は「艷の正字」、第4水準2−88−94、138−1]《くわうえん》を発したる、皆好し。たゞ此花の何と無く油こきやうに思はるゝはをかし。如何なるものを地より吸ひけん、知らず。

      紫藤

 春の花いづれとなく皆開け出《いづ》る色ごとに目おどろかぬは無きを、心短く打すてゝ散りぬるが恨めしうおぼゆるころほひ、此花の独《ひとり》たち後れて夏にさきかゝるなん、あやしく心にくゝ、あはれにおぼえ侍る。と古の人の云ひたる藤の花こそ、花の中にもいと物静かにして而も艶なるものなれ。古りたる園の、主変りて顧みられずなり行き、籬は破れ土は瘠せ、草木も人の手の恵《めぐみ》に遠ざかりたるより色失せ勢|萎《な》へて見る眼悲しくなりたるが中に、此花の喬《たか》き常盤樹の梢に這ひ上りて、おのが心のまゝに紫の浪織りかけて静けく咲き出でたるなど、特《こと》に花の色も身に染《し》みてあはれ深きものにぞ覚ゆる。紫の色に咲く桐の花、樗の花、いづれか床しき花ならぬは無けれど、此花は花の姿さへ其色に協ひたりとおぼしく、ひとしほ人の心を動かす。これの秋咲くものならぬこそ幸なれ。風冷えて鐘の音も清み渡る江村の秋の夕など、雲漏る薄き日ざしに此花の咲くものならんには、我必ずや其蔭に倒れ伏して死《しに》もすべし。虻の声は天地の活気を語り、風の温く軟《やはらか》きが袂軽き衣を吹き皺めて、人々の魂魄《たましひ》を快き睡りの郷に誘はんとする時にだも、此花を見れば我が心は天にもつかず地にもつかぬ空に漂ひて、物を思ふにも無く思はぬにも無き境に遊ぶなり。

      桐花

 朝風すゞしく地は露に湿《うるほ》ひたる時、桐の花の草の上などに落ちたるを見たる、何となく興あり。梢にあるほどは、人に知られぬもをかし。花の形しほらしく、色ゆかし。花弁《はなびら》のちり/″\にならで散ればにや、手に取りて弄びたき心地もするなり。

      ※[#「※」は「くさかんむり+溪」、読みは「けい」、139−6]※[#「※」は「くさかんむり+孫」、読みは「そん」、第3水準1−91−17、139−6]

 はなあやめは、花の姿やさしく、葉の態《さま》いさぎよし。心といふ字の形して開きたる、筆の穂の形して猶開かざる、皆好し。雨の日のものにはあらず、晴れたる日のものなり。夕のものにはあらず、暁または昼のものなり。人の力を仮らざれば花いと※[#「※」は「やまいだれ+瞿」、読みは「や」、第3水準1−88−62、139−9]す。されど、おのづからなるが沼などに弱々しく咲き出でたるものまた趣ありて、都にして見んには口惜き花のさまやなどいふべし、旅にして見れば然《さ》もおもはず。古き歌にいへるあやめはこれならずとかや。今上野あたりの野沢などに多く咲くものは何なるべきや。物の名の古と今との違ひは、しば/\よまむとおもふ歌をも心の疑ひに得読まで終らしむ。おろかなることかな。

      石竹

 
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