なでしこは野のもの勝れたり。草多くしげれるが中に此花の咲きたる、或は水乾きたる河原などに咲きたる、道ゆくものをして思はずふりかへりて優しの花やと独りごたしむ。馬飼ふべき料にとて賤の子が苅りて帰る草の中に此花の二ツ三ツ見えたるなど、誰か歌ごゝろを起さゞるべき。
豆花
豆の花は皆やさし。そらまめのは其色を嫌ふ人もあるべけれど、豌豆のは誰か其姿を愛でざらむ。鵲豆《ふぢまめ》のは殊にめでたし。何とて都の人はかゝる花実共によきものを植ゑざるならん。花の色白きも紫なるもをかし。歌人の知らず顔にて千年あまり経たる、更に心得ず。我がひが心の好みにや。
紫薇
猿滑りとは其幹の攀ぢがたく見ゆるよりの名なるべく、百日紅と呼び半年花と呼ぶは其花の盛り久しきよりの称なるべし。雲の峯の天にいかめしくて、磧礫《こいし》も火炎《ほのほ》を噴くかと見ゆる夏の日、よろづの草なども弱り萎《しを》るゝ折柄、此花の紫雲行きまどひ蜀錦碎け散れるが如くに咲き誇りたる、梅桜とはまた異るおもむきあり。掃へど掃へど又しても又しても新しく花の散るとて、子僮《わつぱ》はつぶやくべけれど、散りても散りても後より後より新しき花の咲き出づるは、主人《あるじ》がよろこぶところなるべし。木ぶりの※[#「※」は「やまいだれ+瞿」、読みは「や」、第3水準1−88−62、141−3]せからびて老いたるものめきたるにも似ず、小女などのやうに、人の手のおのが肌に触るれば身を慄はしておのゝくは如何なる故にや。をかし。
紅花
べにの花は、人の園に養ひ鉢に植ゑたるをば見ねど、姿やさしく色美しくて、よのつね人々の愛でよろこぶ草花なんどにも劣るべくはあらぬものなり。人は花の大きからねば眼ざましからずとてもてはやさぬにや、香の無ければゆかしくもあらずとて顧みぬにや。花は其形の大きくて香の高きをのみ愛づべきものかは。此花おほよそは薊に似て薊のように鬼々《おに/\》しからず、色の赤さも薊の紫がゝりたるには似で、やゝ黄ばみたれば、いやしげならず、葉の浅翠《あさみどり》なるも、よく暎《うつ》りあひて美しく、一体の姿のかよはく物はかなげなる、まことにあはれ深し。べには此花より取るものなれど、此花のみにては色を出さず、梅の酸《す》にあひて始めて紅の色の成るなり。いまだこの事を知らざりし折、庭の中にいささかこの花を生《おふ》し立てしが、其紅の色の濃からぬを訝しみつゝ朝な夕な疑ひの眼を張りて打まもりたりしをかしさ、今に忘れず。
鉄線蓮
てつせんは、詩にも歌にも遺《わす》れられて、物のもやうにのみ用ゐらるゝものなるが、詩歌に採らるべきおもむき無きものにはあらじ。籬などに纏ひつきつ、風車のようなる形して咲き出でたる花の色白く大なるが程よく紫ばみたる、位高く見えて静に幽《かすか》なるところある美はしきものなり。愛で悦ぶ人の少きにや、見ること稀なり。心得ず。
芍薬
牡丹は幹の老いからびて、しかも眼ざましく艶なる花を開くところおもしろく、芍薬は細く清げなる新しき茎の上にて鮮やかに麗はしき花を開くところ美し。牡丹の花は重げに、芍薬の花は軽げなり。牡丹の花は曇りあるやうにて、芍薬の花は明らかなるやうなり。牡丹は徳あり、芍薬は才あり。
鳳仙花
前栽の透籬《すいがき》の外などに植ゑたるは、まことによし。眼近きあたりに置きて見んはいさゝかおもしろからざるべくや。浅みどりの葉の色茎の色、日の光に透くやうに見えたるに、小き花のいと繁くも簇《むらが》がりて紅う咲きたる、もてあそびものめきたれど憎からず。これの実を指にて摘めば虫などの跳《はね》るやうに自ら動きて、莢《さや》破れ子《み》飛ぶこと極めて速やかなり。かゝるものを見るにつけても、草に木に鳥に獣にそれ/″\行はるゝ生々の道のかしこきをおもふ。此物何ぞ数ふるに足らんと劉伯温の云ひしはいかが。
断腸花
秋海棠は丈《たけ》の矮きに似ず葉のおほやうにて花のしほらしきものなり。たとへば貴ききはにあらぬ女の思ひのほかに心ざま寛《ゆる》やかにて、我はと思ひあがりたるさまも無く、人に越えたる美しさを具へたらんが如し。北にむきたる小さき書斎の窓の下などに此花の咲きて、緑の苔の厚う閉ぢたる地を蔽ひたる、いかにも物さびて住む人の人柄もすゞしげに思ひなさる。
白※[#「※」は「くさかんむり+及」、読みは「きゅう」、第4水準2−85−94、143−10]
白※[#「※」は「くさかんむり+及」、読みは「きゅう」、第4水準2−85−94、143−11]は世の人しらんと呼ぶ。紅勝ちたる紫の薄色の花の形、春蘭に似て細かに看れば甚だ奇なり。葉は一葉《はらん》をいたく小さくしたるが如く、一つの茎
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