も無く、歌をつくるすべも知らぬ田舎の人の、年老いて世の慾も失せたるが、村酒の一碗二碗に酔ひて罪も無く何事をか語り出でつ高笑ひなせるが如し。野気は多けれど塵気は少し。なまじ取り繕ひたるところ無く、よしばみて見えざるところ、却つて嬉し。川を隔てゝ霞の蒸したる一ト村の奥に尽頭《はづれ》に咲き誇りたるを見たる、谷に臨みて春風ゆるく駐《とど》まるべき崖下などの小家包みて賑はしく咲けるを見たる、いづれをかしき趣あらぬは無し。この花を俗なりといひて謗る男あり。おほかたはおのれが少しの文字知りたるより、我が親を愚なりと云ひくだすきはの人なるべくや。片腹いたし。
木瓜
ぼけは、緋なるも白きも皆好し、刺《とげ》はあれど木ぶりも好ましからずや。これを籬にしたるは奢りがましけれど、処子が家にもさばかりの奢りはありてこそ宜かるべけれ。水に近き郷なるこれが枝には蘚《こけ》の付き易くして、ひとしほのおもむきを増すも嬉し。狭き庭にては高き窓の下、蔀《したみ》のほとり、あるは檐のさきなどの矮き樹。広き庭にては池のあなた、籬の隅、あるは小祠の陰などのやゝ高き樹。春まだ更《た》けぬに赤くも白くも咲き出したる、まことに心地好し。
榲※[#「※」は「木へん+孛」、読みは「ぼつ」、第3水準1−85−67、134−2]
東京にはまるめろの樹少し、北の方の国々には多きやうなり。我が嘗て住みし谷中の家の庭に一|本《もと》の此樹ありき。初めは名をだに知らざりければ、枝葉のふりも左のみ面白からぬに、幹の瘤多きも見る眼|疚《やま》しく、むづかしげなる人に打対ひ立つ心地して、をかしからずとのみ思ひ居りけるが、或日の雨の晴れたるをり、ゆくりなくも花の二つ三つ咲き出でたるを見て、日頃の我が胸の中のさげすみを花の知らばと、うらはづかしくおぼえき。花は淡紅《うすくれなゐ》の色たぐふべきものも無く気高く美しくて、いやしげ無く伸びやかに、大さは寸あまりもあるべく、単弁《ひとへ》の五|片《ひら》に咲きたる、極めてゆかし。花の白きもありとかや、未だ見ねば知らねど、それも潔かるべし。むかし孔子の弟子に子羽といへる人ありて、其猛きこと子路にも勝れり。璧を齎《も》ちて河を渡りける時、河の神の、璧を得まくおもふより波を起し、蛟《みづち》をして舟を夾《はさ》ましめ其《そ》を脅《おど》し求むるに遇ひしが、吾は義を以て求むべし、威を以て劫《おびやか》すべからずとて、左に璧を操《と》り右に剣を操り、蛟を撃ちて皆殺しにしけるとぞ。かゝる人なりければ其|面貌《つらつき》も恐ろしげに荒びて夷《えびす》などの如くなりけむ、孔子も貌を以て人を取りつ之を子羽に失しぬと云ひ玉へり。まるめろを子羽に擬《よそ》へんは烏滸の限りなれど、子羽といひし人、おほよそは喩へば此樹の如くにもありけむと、其後此花を見るたびに思ふも、花の添へたる智慧なれや。
胡蝶花
しやが、鳶尾草《いちはつ》は同じ類なり。相模、上野あたりにて見かくる事多し。射干《ひあふぎ》にも似、菖蒲《あやめ》にも似たる葉のさま、燕子花《かきつばた》に似たる花のかたち、取り出でゝ云ふべきものにもあらねど、さて捨てがたき風情あり。雨の後など古き茅屋《かやや》の棟に咲ける、おもしろからずや。すべて花は家の主人《あるじ》が眼の前に植ゑらるゝが多きに、此花ばかりは頭の上に植ゑらるゝこと多きも、あやしき花の徳といふものにや。おもへばをかし。
躑躅花
つゝじは品多し。花紅にして単弁《ひとへ》なるもの、珍しからねど真《まこと》の躑躅花のおもむきありと思はる。取りつくろはぬ矮き樹の一|本《もと》二本庭なる捨石の傍などに咲きたる、或は築山に添ひて一ト簇《むら》一ト簇なせるが咲きたる、いづれも美し。此花咲けば此頃よりやがて酒の味《あぢはひ》うまからずなりて、菊の花咲くまでは自ら酒盃《さかづき》に遠ざかること我が習ひなり。人は如何にや知らず、我は打対ひて酒飲むべき花とは思はず。
李花
すもゝの花は、淋しげに青白し。夜は疑ふ関山の月、暁は似たり沙場の雪、と古の人の詠《よ》みしもいつはりならず。貧しげなる家の頽れかゝりたる納屋のほとり、荒れたる籬の傍などに咲きたる、春の物としも無く悲し。歌に、消えがての雪と見るまで山がつのかきほのすもゝ花咲きにけり、といへるもまことにおもしろし。実《げ》に山がつのかきほなどにこそ此花咲きてふさはしかるべけれ。それも花繁く間《あはひ》遠からではをかしからじ。李花遠きに宜しく更に繁きに宜しと楊萬里の云ひたるは、よく云ひ得たりといふべし。
玉蘭花
もくれんは辛夷《こぶし》の類なり。花白きあり紫なるあれど、玉蘭といへば白き方をさすなるべし。散りぎははおもしろからねど、今や咲
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