牛や馬ではありません。自分で自分を向上させることの出来るものですから、無理に隆鼻術の施行や美容法研究をせずとも、「此に欠くるところも彼に増すこともあれば又以て自ら善くするに足る」道理で、然《さ》のみ苦にするには当りません。例を申せば、無塩君は醜婦でありましたが破格の出世を致しました。小町は美人であつたが卒塔婆小町の悲境に落ちました。支那の大哲老子の母は非常に醜婦であつたと伝へられて居ます。希臘の賢人に醜貌の人のあつたは誰も知つてゐる事です。諸葛孔明は実に立派な人ですが、其の妻を娶るに当つては特と醜婦を択びましたので、当時小歌を作つて其事を囃したものがあります。日本でも毛利の麒麟児と云はれた一英雄はわざと孔明の所為を学びました。孔明の妻となり老子の母となつては、醜婦の鼻も亦甚だ高い訳ではありませんか。アルシビアデスは非常の美男子で雄材の人ですが、其終を令《よ》くしては居りませぬ。澹台子羽は容貌の揚らないので孔子様にさへ軽く視られましたが、徳を修め道に進んだので、後に至つて孔子様も吾が失敗であつたと歎ぜられたとあります。美しい醜いといふことは確に其人に利益不利益を与へますが、それでさへ必ず
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