と、あとじさりに離れた客は、手拭を人質のごとく、しかと取って、
「気味の悪かったのは只今でしたな――この夜ふけに、しかも、ここから、唐突《だしぬけ》だろう。」
そのまま洗面所へ肩を入れて、
「思いも寄らない――それに、余り美しい綺麗《きれい》な人なんだから。」
声が天井へもつき通して、廊下へも響くように思われたので、急に、ひっそりと声の調子を沈めた。
「ほんとうに胆《きも》が潰《つぶ》れたね。今思ってもぞッとする……別嬪《べっぴん》なのと、不意討で……」
「お巧言《じょうず》ばっかり。」
と、少し身を寄せたが、さしうつむく。
「串戯《じょうだん》じゃありません。……(お手水……)の時のごときは、頭から霜を浴びて潟の底へ引込まれるかと思ったのさ。」
大袈裟《おおげさ》に聞えたが。……
「何とも申訳がありません。――時ならない時分に、髪を結ったりなんかしましたものですから。――あの、実は、今しがた、遠方のお客様から電報が入りまして、この三時十分に動橋《いぶりばし》へ着きます汽車で、当方へおいでになるッて事だものですから、あとは皆《みんな》年下の女たちが疲れて寝ていますし……私がお世
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