、かつて志を得たら、東京へ迎えます。と言ううちに、両親はなくなりました。その親たちの位牌《いはい》を、……上野の展覧会の今最中、故郷の寺の位牌堂から移して来たのが、あの、大《おおき》な革鞄《かばん》の中に据えてあります。その前で、謹んで言うのです。――お位牌も、この姐さんに、どうぞお力をお添え下さい。」
 と言った。面《おもて》が白蝋《はくろう》のように色澄んで、伏目で聞入ったお澄の、長い睫毛《まつげ》のまたたくとともに、床《とこ》に置いた大革鞄が、揺れて熊の動くように見えたのである。
「あら! 私……」
 この、もの淑《しずか》なお澄が、慌《あわただ》しく言葉を投げて立った、と思うと、どかどかどかと階子段《はしごだん》を踏立てて、かかる夜陰を憚《はばか》らぬ、音が静寂間《しじま》に湧上《わきあが》った。
「奥方は寝床で、お待ちで。それで、お出迎えがないといった寸法でげしょう。」
 と下から上へ投掛けに肩へ浴びせたのは、旦那に続いた件《くだん》の幇間と頷《うなず》かれる。白い呼吸《いき》もほッほッと手に取るばかり、寒い声だが、生ぬるいことを言う。
「や、お澄――ここか、座敷は。」
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