居直ったのである。

       四

 渠《かれ》は稲田《いなだ》雪次郎と言う――宿帳の上を更《あらた》めて名を言った。画家である。いくたびも生死《しょうし》の境にさまよいながら、今年初めて……東京上野の展覧会――「姐さんは知っているか。」「ええこの辺でも評判でございます。」――その上野の美術展覧会に入選した。
 構図というのが、湖畔の霜の鷭なのである。――
「鷭は一生を通じての私のために恩人なんです。生命《いのち》の親とも思う恩人です。その大恩のある鷭の一類が、夫も妻も娘も忰《せがれ》も、貸座敷の亭主と幇間の鉄砲を食《くら》って、一時《いっとき》に、一百《いっそく》二三十ずつ、袋へ七つも詰込まれるんでは遣切《やりき》れない。――深更《よふけ》に無理を言ってお酌をしてもらうのさえ、間違っている処へ、こんな馬鹿な、無法な、没常識な、お願いと言っちゃあないけれど、頼むから、後生だから、お澄さん、姐さんの力で、私が居る……この朝だけ、その鷭|撃《うち》を留《や》めさしてはもらえないだろうか。……男だてなら、あの木曾川の、で、留《と》めて見ると言ったって、水の流《ながれ》は留められるもので
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