《ドア》を開けた出会頭《であいがしら》に、爺やが傍《そば》に、供が続いて突立《つった》った忘八《くつわ》の紳士が、我がために髪を結って化粧したお澄の姿に、満悦らしい鼻声を出した。が、気疾《きばや》に頸《くび》からさきへ突込《つっこ》む目に、何と、閨《ねや》の枕に小ざかもり、媚薬《びやく》を髣髴《ほうふつ》とさせた道具が並んで、生白《なまじろ》けた雪次郎が、しまの広袖《どてら》で、微酔《ほろよい》で、夜具に凭《もた》れていたろうではないか。
 正《しょう》の肌身はそこで藻抜けて、ここに空蝉《うつせみ》の立つようなお澄は、呼吸《いき》も黒くなる、相撲取ほど肥った紳士の、臘虎襟《らっこえり》の大外套《おおがいとう》の厚い煙に包まれた。
「いつもの上段の室《ま》でございますことよ。」
 と、さすが客商売の、透かさず機嫌を取って、扉《ドア》隣へ導くと、紳士の開閉《あけたて》の乱暴さは、ドドンドシン、続けさまに扉が鳴った。

       五

「旦那《だんな》は――ははあ、奥方様と成程。……それから御入浴という、まずもっての御寸法。――そこでげす。……いえ、馬鹿でもそのくらいな事は心得ておりますんで。……しかし御口中《ごこうちゅう》ぐらいになさいませんと、これから飛道具を扱います。いえ、第一遠く離れていらっしゃるで、奥方の方で御承知をなさいますまい。はははは、御遠慮なくお先へ。……しかしてその上にゆっくりと。」
 階子段《はしごだん》に足踏《あしぶみ》して、
「鷭だよ、鷭だよ、お次の鷭だよ、晩の鷭だよ、月の鷭だよ、深夜《よなか》の鷭だよ、トンと打《ぶ》つけてトントントンとサ、おっとそいつは水鶏《くいな》だ、水鶏だ、トントントトン。」と下りて行《ゆ》く。
 あとは、しばらく、隣座敷に、火鉢があるまいと思うほど寂寞《ひっそり》した。が、お澄のしめやかな声が、何となく雪次郎の胸に響いた。
「黙れ!」
 と梁《はり》から天井へ、つつぬけにドス声で、
「分った! そうか。三晩つづけて、俺が鷭撃に行って怪我をした夢を見たか。そうか、分った。夢がどうした、そんな事は木片《こっぱ》でもない。――俺が汝等《うぬら》の手で面《つら》へ溝泥《どぶどろ》を塗られたのは夢じゃないぞ。この赫《かッ》と開けた大きな目を見ろい。――よくも汝《うぬ》、溝泥を塗りおったな。――聞えるか、聞えるか。となりの野郎に
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