》て優しい姉の手に育てられて、然《そ》う為《し》た事のない眉根《まゆね》を寄せた。
堪へ難《がた》い不快にも、余り眠かつたから手で払ふことも為《せ》ず、顔を横にすると、蠅は辷《すべ》つて、頬の辺《あたり》を下から上へ攀《よ》ぢむと為《す》る。
這《は》ふ時の脚《あし》には、一種の粘糊《ねばり》が有るから、気《け》だるいのを推《お》して払《はた》くは可《い》いが、悪く掌《てのひら》にでも潰《つぶ》れたら何《ど》うせう。
下
其時《そのとき》まで未《ま》だ些《ち》とは張《はり》の有つた目を、半《なか》ば閉ぢて、がつくりと仰向《あおむ》くと、之《これ》がため蠅は頬《ほっ》ぺたを嘗《な》めて居た嘴《くちばし》から糸を引いて、ぶう/\と鳴いて飛上《とびあが》つたが、声も遠くには退《の》かず。
瞬《またた》く間《ま》に翼を組んで、黒点|先刻《さっき》よりも稍《やや》大きく、二つが一つになつて、衝《つ》と、細眉《ほそまゆ》に留《と》まると、忽《たちま》ちほぐれて、びく/\と、ずり退《の》いたが、入交《いりまじ》つたやうに覚えて、頬《ほお》の上で再び一《ひと》ツ一《ひと》ツに分れた。
其の都度《つど》ヒヤリとして、針の尖《さき》で突くと思ふばかりの液体を、其処此処《そこここ》滴《したた》らすから、幽《かすか》に覚えて居る種痘《しゅとう》の時を、胸を衝《つ》くが如くに思ひ起して、毒を射されるかと舌が硬《こわ》ばつたのである。
まあ、何処《どこ》から襲つて来たのであらうと考へると、……其では無いか。
店へ来る客の中に、過般《いつか》、真桑瓜《まくわうり》を丸ごと齧《かじ》りながら入つた田舎者《いなかもの》と、それから帰りがけに酒反吐《さけへど》をついた紳士があつた。其の事を謂《い》ふ毎《ごと》に、姉は面《おもて》を蔽《おお》ふ習慣《ならい》、大方|其《そ》の者《もの》等《ら》の身体《からだ》から姉の顔を掠《かす》めて、暖簾《のれん》を潜《くぐ》つて、部屋《ここ》まで飛込《とびこ》んで来たのであらう、……其よ、謂《い》ひやうのない厭《いや》な臭気《におい》がするから。
と思ふ、愈々《いよいよ》胸さきが苦しくなつた。其に今がつくりと仰向《あおむ》いてから、天窓《あたま》も重く、耳もぼつとして、気が遠くなつて行《ゆ》く。――
焦《じ》れるけれども手はだる
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