一つしゃくって、頬被りから突出す頤《あご》に凄味《すごみ》を見せた。が、一向に張合なし……対手《あいて》は待てと云われたまま、破れた暖簾《のれん》に、ソヨとの風も無いように、ぶら下った体《てい》に立停《たちどま》って待つのであるから。
「どこへ行く、」
 黙って、じろりと顔を見る。
「どこへ行くかい。」
「ええ、宅へ帰りますでございます。」
「家《うち》はどこだ。」
「市ヶ谷田町でございます。」
「名は何てんだ、……」
 と調子を低めて、ずっと摺寄《すりよ》り、
「こう言うとな、大概生意気な奴《やつ》は、名を聞くんなら、自分から名告《なの》れと、手数を掛けるのがお極《きま》りだ。……俺はな、お前《めえ》の名を聞いても、自分で名告るには及ばない身分のもんだ、可《い》いか。その筋の刑事だ。分ったか。」
「ええ、旦那でいらっしゃいますか。」
 と、破れ布子《ぬのこ》の上から見ても骨の触って痛そうな、痩《や》せた胸に、ぎしと組んだ手を解いて叩頭《おじぎ》をして、
「御苦労様でございます。」
「むむ、御苦労様か。……だがな、余計な事を言わんでも可い。名を言わんかい。何てんだ、と聞いてるんじゃない
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