にら》んで、不服らしくずんずん通った。
 が、部屋へ入ると、廊下を背後《うしろ》にして、長火鉢を前に、客を待つ気構えの、優しく白い手を、しなやかに鉄瓶の蔓《つる》に掛けて、見るとも見ないともなく、ト絵本の読みさしを膝に置いて、膚《はだ》薄そうな縞縮緬《しまちりめん》。撫肩《なでがた》の懐手、すらりと襟を辷《すべ》らした、紅《くれない》の襦袢《じゅばん》の袖に片手を包んだ頤《おとがい》深く、清らか耳許《みみもと》すっきりと、湯上りの紅絹《もみ》の糠袋《ぬかぶくろ》を皚歯《しらは》に噛《か》んだ趣して、頬も白々と差俯向《さしうつむ》いた、黒繻子《くろじゅす》冷たき雪なす頸《うなじ》、これが白露かと、一目見ると、後姿でゾッとする。――
「河、原、と書くんだ、河原千平《かわらせんべい》。」
 やがて、帳面を持って出直した時、若いものは、軸で、ちょっと耳を掻《か》いて、へへへ、と笑った。
「貴客《あなた》、ほんとの名を聞かして下さいましな。」
 犬を料理そうな卓子台《ちゃぶだい》の陰ながら、膝に置かれた手は白し、凝《じっ》と視《み》られた瞳は濃し……
 思わず情《なさけ》が五体に響いて、その時言
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