――花あかりに、消えて行った可哀相な人の墓はいかにも、この燈籠寺にあるんだよ。
 若気のいたり。……」
 辻町は、額をおさえて、提灯に俯向《うつむ》いて、
「何と思ったか、東京へ――出発間際、人目を忍んで……というと悪く色気があります。何、こそこそと、鼠あるきに、行燈形《あんどんなり》の小《ちいさ》な切籠燈《きりこ》の、就中《なかんずく》、安価なのを一枚《ひとつ》細腕で引いて、梯子段《はしごだん》の片暗がりを忍ぶように、この磴《いしだん》を隅の方から上《あが》って来た。胸も、息も、どきどきしながら。
 ゆかただか、羅《うすもの》だか、女郎花《おみなえし》、桔梗《ききょう》、萩、それとも薄《すすき》か、淡彩色《うすざいしき》の燈籠より、美しく寂しかろう、白露に雫《しずく》をしそうな、その女《ひと》の姿に供える気です。
 中段さ、ちょうど今居る。
 しかるに、どうだい。お米坊は洒落《しゃれ》にも私を、薄情だというけれど、人間の薄情より三十年の月日は情がない。この提灯でいうのじゃないが、燈台下暗しで、とぼんとして気がつかなかった。申訳より、面目《めんぼく》がないくらいだ。
 ――すまして饒舌《しゃべ》って可《い》いか知らん、その時は、このもみじが、青葉で真黒《まっくろ》だった下へ来て、上へ墓地を見ると、向うの峯をぼッと、霧にして、木曾のははき木だね、ここじゃ、見えない。が、有名な高燈籠が榎《えのき》の梢《こずえ》に灯《とも》れている……葉と葉をくぐって、燈《ひ》の影が露を誘って、ちらちらと樹を伝うのが、長くかかって、幻の藤の総を、すっと靡《なび》かしたように仰がれる。絵の模様は見えないが、まるで、その高燈籠の宙の袖を、その人の姿のように思って、うっかりとして立った。
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――ああ、呆れた――
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 目の前に、白いものと思ったっけ、山門を真下《まっさが》りに、藍《あい》がかった浴衣に、昼夜帯の婦人が、
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――身投げに逢いに来ましたね――
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 言う事も言う事さ、誰だと思います。御母堂さ。それなら、言いそうな事だろう。いきなり、がんと撲《くら》わされたから、おじさんの小僧、目をまるくして胆《きも》を潰《つぶ》した。そうだろう、当の御親類の墓地へ、といっては、ついぞ、つけとどけ、盆のお義理なんぞに出向いた事のない奴《やつ》が、」
 辻町は提灯を押えながら、
「酒買い狸が途惑《とまどい》をしたように、燈籠をぶら下げて立っているんだ。
 いう事が捷早《すばや》いよ、お京さん、そう、のっけにやられたんじゃ、事実、親類へ供えに来たものにした処で、そうとはいえない。
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――初路さんのお墓は――
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 いかにも、若い、優しい、が、何だか、弱々とした、身を投げた女の名だけは、いつか聞いていた。
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――お墓の場所は知っていますか――
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 知るもんですか。お京さんが、崖で夜露に辷《すべ》る処へ、石ころ道が切立《きった》てで危いから、そんなにとぼついているんじゃ怪我をする。お寺へ預けて、昼間あらためて、お参りを、そうなさい、という。こっちはだね。日中《ひなか》のこのこ出られますか。何、志はそれで済むからこの石の上へ置いたなり帰ろうと、降参に及ぶとね、犬猫が踏んでも、きれいなお精霊《しょうりょう》が身震いをするだろう。――とにかく、お寺まで、と云って、お京さん、今度は片褄《かたづま》をきりりと端折《はしょ》った。
 こっちもその要心から、わざと夜になって出掛けたのに、今頃まで、何をしていたろう。(遊んでいた。世の中の煩《うる》ささがなくて寺は涼しい。裏縁に引いた山清水に……西瓜《すいか》は驕《おご》りだ、和尚さん、小僧には内証《ないしょ》らしく冷して置いた、紫陽花《あじさい》の影の映る、青い心太《ところてん》をつるつる突出して、芥子《からし》を利かして、冷い涙を流しながら、見た処三百ばかりの墓燈籠と、草葉の影に九十九ばかり、お精霊の幻を見て涼んでいた、その中に初路さんの姿も。)と、お京さん、好《すき》なお転婆をいって、山門を入った勢《いきおい》だからね。……その勢だから……向った本堂の横式台、あの高い処に、晩出《おそで》の参詣《さんけい》を待って、お納所《なっしょ》が、盆礼、お返しのしるしと、紅白の麻糸を三宝に積んで、小机を控えた前へ。どうです、私が引込《ひっこ》むもんだから、お京さん、引取った切籠燈《きりこ》をツイと出すと、
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――この春、身を投げた、お嬢さんに。……心中を仕損った、この人の、こころざし――
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 私は門まで遁出《にげだ》したよ。あとをカタカタと追って返して、
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――それ、紅い糸を持って来た。縁結びに――白いのが好《よ》かったかしら、……あいては幻……
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 と頬をかすられて、私はこの中段まで転げ落ちた。ちと大袈裟《おおげさ》だがね、遠くの暗い海の上で、稲妻がしていたよ。その夜、途中からえらい降りで。」……
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……………………
……………………
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 辻町は夕立を懐《おも》うごとく、しばらく息を沈めたが、やがて、ちょっと語調をかえて云った。
「お米坊、そんな、こんな、お母さんに聞いていたのかね。」
「ええ、お嫁に行ってから、あと……」
「そうだろうな、あの気象でも、極《きま》りどころは整然《ちゃん》としている。嫁入前の若い娘に、余り聞かせる事じゃないから。
 ――さて、問題の提灯だ。成程、その人に、切籠燈《きりこ》のかわりに供えると、思ったのはもっともだ。が、そんな、実は、しおらしいとか、心入れ、とかいう奇特なんじゃなかったよ。懺悔《ざんげ》をするがね、実は我ながら、とぼけていて、ひとりでおかしいくらいなんだよ。月夜に提灯が贅沢《ぜいたく》なら、真昼間《まっぴるま》ぶらで提げたのは、何だろう、余程《よっぽど》半間さ。
 というのがね、先刻《さっき》お前さんは、連《つれ》にはぐれた観光団が、鼻の下を伸ばして、うっかり見物している間抜けに附合う気で、黙ってついていてくれたけれど、来がけに坂下の小路|中《なか》で、あの提灯屋の前へ、私がぼんやり突立《つった》ったろう。
 場所も方角も、まるで違うけれども、むかし小学校の時分、学校近所の……あすこは大川|近《ぢか》の窪地《くぼち》だが、寺があって、その門前に、店の暗い提灯屋があった。髯《ひげ》のある親仁《おやじ》が、紺の筒袖を、斑々《むらむら》の胡粉《ごふん》だらけ。腰衣のような幅広の前掛《まえかけ》したのが、泥絵具だらけ、青や、紅《あか》や、そのまま転がったら、楽書《らくがき》の獅子《しし》になりそうで、牡丹《ぼたん》をこってりと刷毛《はけ》で彩《えど》る。緋《ひ》も桃色に颯《さっ》と流して、ぼかす手際が鮮彩《あざやか》です。それから鯉の滝登り。八橋一面の杜若《かきつばた》は、風呂屋へ進上の祝だろう。そんな比羅絵《びらえ》を、のしかかって描いているのが、嬉しくて、面白くって、絵具を解き溜《た》めた大摺鉢《おおすりばち》へ、鞠子《まりこ》の宿《しゅく》じゃないけれど、薯蕷汁《とろろ》となって溶込むように……学校の帰途《かえり》にはその軒下へ、いつまでも立って見ていた事を思出した。時雨も霙《みぞれ》も知っている。夏は学校が休《やすみ》です。桜の春、また雪の時なんぞは、その緋牡丹の燃えた事、冴えた事、葉にも苔《こけ》にも、パッパッと惜気《おしげ》なく金銀の箔《はく》を使うのが、御殿の廊下へ日の射《さ》したように輝いた。そうした時は、家《うち》へ帰る途中の、大川の橋に、綺麗な牡丹が咲いたっけ。
 先刻《さっき》のあの提灯屋は、絵比羅も何にも描いてはいない。番傘の白いのを日向《ひなた》へ並べていたんだが、つい、その昔を思出して、あんまり店を覗《のぞ》いたので、ただじゃ出て来にくくなったもんだから、観光団お買上げさ。
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――ご紋は――
――牡丹――
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 何、描かせては手間がとれる……第一実用むきの気といっては、いささかもなかったからね。これは、傘《からかさ》でもよかったよ。パッと拡げて、菊を持ったお米さんに、背後《うしろ》から差掛けて登れば可《よ》かった。」
「どうぞ。……女万歳の広告に。」
「仰せのとおり。――いや、串戯《じょうだん》はよして。いまの並べた傘の小間|隙間《すきま》へ、柳を透いて日のさすのが、銀の色紙《しきし》を拡げたような処へ、お前さんのその花についていたろう、蝶が二つ、あの店へ翔込《たちこ》んで、傘の上へ舞ったのが、雪の牡丹へ、ちらちらと箔《はく》が散浮く……
 そのままに見えたと思った時も――箔――すぐこの寺に墓のある――同町内に、ぐっしょりと濡れた姿を儚《はかな》く引取った――箔屋――にも気がつかなかった。薄情とは言われまいが、世帯の苦労に、朝夕は、細く刻んでも、日は遠い。年月が余り隔《へだた》ると、目前《めのまえ》の菊日和も、遠い花の霞になって、夢の朧《おぼろ》が消えて行《ゆ》く。
 が、あらためて、澄まない気がする。御母堂の奥津城を展じたあとで。……ずっと離れているといいんだがな。近いと、どうも、この年でも極《きま》りが悪い。きっと冷かすぜ、石塔の下から、クックッ、カラカラとまず笑う。」
「こわい、おじさん。お母《っか》さんだがいいけれど。……私がついていますから、冷かしはしませんから、よく、お拝みなさいましよね。
 ――(糸塚)さん。」
「糸塚……初路さんか。糸塚は姓なのかね。」
「いいえ、あら、そう……おじさんは、ご存じないわね。
 ――糸塚さん、糸巻塚ともいうんですって。
 この谷を一つ隔てた、向うの山の中途に、鬼子母神《きしもじん》様のお寺がありましょう。」
「ああ、柘榴寺《ざくろでら》――真成寺《しんじょうじ》。」
「ちょっとごめんなさい。私も端の方へ、少し休んで。……いいえ、構うもんですか。落葉といっても錦《にしき》のようで、勿体ないほどですわ。あの柘榴の花の散った中へ、鬼子母神様の雲だといって、草履を脱いで坐ったのも、つい近頃のようですもの。お母さんにつれられて。白い雲、青い雲、紫の雲は何様でしょう。鬼子母神様は紅《あか》い雲のように思われますね。」
 墓所は直《じき》近いのに、面影を遥《はる》かに偲《しの》んで、母親を想うか、お米は恍惚《うっとり》して云った。
 ――聞くとともに、辻町は、その壮年を三四年、相州|逗子《ずし》に過ごした時、新婚の渠《かれ》の妻女の、病厄のためにまさに絶えなんとした生命を、医療もそれよ。まさしく観世音の大慈の利験《りやく》に生きたことを忘れない。南海霊山の岩殿寺《いわとのじ》、奥の御堂《みどう》の裏山に、一処《ひとところ》咲満ちて、春たけなわな白光《びゃっこう》に、奇《く》しき薫《かおり》の漲《みなぎ》った紫の菫《すみれ》の中に、白い山兎の飛ぶのを視《み》つつ、病中の人を念じたのを、この時まざまざと、目前の雲に視て、輝く霊巌《れいげん》の台に対し、さしうつむくまで、心衷《しんちゅう》に、恭礼黙拝したのである。――

 お米の横顔さえ、※[#くさかんむり/(月+曷)」、第3水準1−91−26]《ろう》たけて、
「柘榴寺、ね、おじさん、あすこの寺内に、初代元祖、友禅の墓がありましょう。一頃は訪《と》う人どころか、苔《こけ》の下に土も枯れ、水も涸《かわ》いていたんですが、近年《ちかごろ》他国の人たちが方々から尋ねて来て、世評が高いもんですから、記念碑が新しく建ちましてね、名所のようになりました。それでね、ここのお寺でも、新規に、初路さんの、やっぱり記念碑を建てる事になったんです。」
「ははあ、和尚さん、娑婆気《しゃばっけ》だな、人寄せに、黒枠で……と身を投げた人だから、薄彩色《う
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