て候だよ。」
「墨染でも、喜撰でも、所作舞台ではありません、よごれますわ。」
「どうも、これは。きれいなその手巾《ハンケチ》で。」
「散っているもみじの方が、きれいです、払っては澄まないような、こんな手巾。」
「何色というんだい。お志で、石へ月影まで映《さ》して来た。ああ、いい景色だ。いつもここは、といううちにも、今日はまた格別です。あいかわらず、海も見える、城も見える。」
 といった。
 就中《なかんずく》、公孫樹《いちょう》は黄なり、紅樹、青林、見渡す森は、みな錦葉《もみじ》を含み、散残った柳の緑を、うすく紗《しゃ》に綾取《あやど》った中に、層々たる城の天守が、遠山の雪の巓《いただき》を抽《ぬ》いて聳《そび》える。そこから斜《ななめ》に濃い藍《あい》の一線を曳《ひ》いて、青い空と一刷《ひとはけ》に同じ色を連ねたのは、いう迄もなく田野と市街と城下を巻いた海である。荒海ながら、日和の穏かさに、渚《なぎさ》の浪は白菊の花を敷流す……この友禅をうちかけて、雪国の町は薄霧を透《とお》して青白い。その袖と思う一端に、周囲三里ときく湖は、昼の月の、半円なるかと視《なが》められる。
「お米坊。」

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