っては、お志が通らないではありませんか、悪いわ。」
「お叱言《こごと》で恐入るがね、自分から手向けるって、一体誰だい。」
「それは誰方《どなた》だか、ほほほ。」
 また莞爾《にっこり》。
「せいせい、そんな息をして……ここがいい、ちょっとお休みなさいよ、さあ。」
 ちょうど段々|中継《なかつぎ》の一土間、向桟敷《むこうさじき》と云った処、さかりに緋葉した樹の根に寄った方で、うつむき態《なり》に片袖をさしむけたのは、縋《すが》れ、手を取ろう身構えで、腰を靡娜《なよやか》に振向いた。踏掛けて塗下駄に、模様の雪輪が冷くかかって、淡紅《とき》の長襦袢《ながじゅばん》がはらりとこぼれる。
 媚《なまめか》しさ、というといえども、お米はおじさんの介添のみ、心にも留めなそうだが、人妻なれば憚《はばか》られる。そこで、件《くだん》の昼提灯を持直すと、柄の方を向うへ出した。黒塗の柄を引取ったお米の手は、なお白くて優しい。
 憚られもしようもの。磴たるや、山賊の構えた巌《いわお》の砦《とりで》の火見《ひのみ》の階子《はしご》と云ってもいい、縦横町条《たてよこまちすじ》の家《や》ごとの屋根、辻の柳、遠近《お
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