きうら》とも思う町を、影法師のごとくようやく人脚の繁くなるのに気を取られていた、松崎は、また目を舞台に引附けられた。
 舞台を見返す瞬間、むこうから、先刻《さっき》の編笠を被《かぶ》った鴉《からす》ような新粉細工が、ふと身を起して、うそうそと出て来るのを認めた。且つそれが、古綿のようにむくむくと、雲の白さが一団《ひとかたまり》残って、底に幽《かすか》に蒼空《あおぞら》の見える……遥《はる》かに遠い所から、たとえば、ものの一里も離れた前途《さき》から、黒雲を背後《うしろ》に曳《ひ》いて襲《おそ》い来るごとく見て取られた。
 それ、もうそこに、編笠を深く、舞台を覗《のぞ》く。
 いつの間にか帰って来て、三人に床几《しょうぎ》を貸した古女房も交って立つ。
 彼処《かしこ》に置捨てた屋台車が、主《ぬし》を追うて自ら軋《きし》るかと、響《ひびき》が地を畝《うね》って、轟々《ごろごろ》と雷《らい》の音。絵の藤も風に颯《さっ》と黒い。その幕の彼方《かなた》から、紅蓮、大紅蓮のその声、舌も赤う、ひらめくと覚えて、めらめらと饒舌《しゃべ》る。……
「まだ後が聞きとうござりますか。お稲は狂死《くるいじに》
前へ 次へ
全88ページ中71ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング