「お稲ちゃんが、そんなに美しく身のまわりの始末をしたのも、あとで人に見られて恥かしくないように躾《たしな》んでいたんだわね――そして隙さえあれば、直ぐに死ぬ気で居たんでしょう、寝しなにお化粧をするのなんか。
 ですから、病院へ入ったあとで、針箱の抽斗《ひきだし》にも、畳紙《たとうがみ》の中にも、皺《しわ》になった千代紙一枚もなく……油染《あぶらじ》みた手柄|一掛《ひとかけ》もなかったんですって。綺麗にしておいたんだわ……友達から来た手紙なんか、中には焼いたのもあるんですって、……心掛けたじゃありませんか。惜《おし》まれる娘《こ》は違うわね。
 ぐっと取詰《とりつ》めて、気が違った日は、晩方、髪結《かみゆい》さんが来て、鏡台に向っていた時ですって。夏の事でね、庭に紫陽花《あじさい》が咲いていたせいか、知らないけれど、その姿見の蒼《あお》さったら、月もささなかったって云うんですがね。――そして、お稲ちゃんのその時の顔ぐらい、色の白いって事は覚えないんですとさ――
 髪結さんが、隣家《となり》の女房《かみさん》へ談話《はなし》なんです。
 同一《おなじ》のが廻りますからね。
 隣家《とな
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