「ははあ、その児だ……」
ともすると、――それが夕暮が多かった――嬰児《あかんぼ》を背負《おぶ》って、別にあやすでもなく、結いたての島田で、夕化粧したのが、顔をまっすぐに、清《すずし》い目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って、蝙蝠《こうもり》も柳も無しに、何を見るともなく、熟《じっ》と暮れかかる向側《むこうがわ》の屋根を視《なが》めて、其家《そこ》の門口《かどぐち》に彳《たたず》んだ姿を、松崎は両三度、通りがかりに見た事がある。
面影は、その時の見覚えで。
出窓の硝子越《がらすごし》に、娘の方が往《ゆき》かえりの節などは、一体|傍目《わきめ》も触《ふ》らないで、竹をこぼるる露のごとく、すいすいと歩行《ある》く振《ふり》、打水にも褄《つま》のなずまぬ、はで姿、と思うばかりで、それはよくは目に留まらなかった。
が、思い当る……葬式《とむらい》の出たあとでも、お稲はその身の亡骸《なきがら》の、白い柩《ひつぎ》で行《ゆ》く状《さま》を、あの、門《かど》に一人立って、さも恍惚《うっとり》と見送っているらしかった。
十九
女房は語《かたり》続けた―
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