思議に数えられた、幻の音曲である。
言った方も戯《たわむれ》に、聞く女《ひと》も串戯《じょうだん》らしく打消したが、松崎は、かえって、うっかりしていた伝説《いいつたえ》を、夢のように思出した。
興ある事かな。
日は永し。
今宮辺の堂宮の絵馬を見て暮したという、隙《ひま》な医師《いしゃ》と一般、仕事に悩んで持余《もてあま》した身体《からだ》なり、電車はいつでも乗れる。
となると、家へ帰るにはまだ早い。……どうやら、橋の上で聞いたよりは、ここへ来ると、同じ的の無い中《うち》にも、囃子の音が、間近に、判然《はっきり》したらしく思われる。一つは、その声の響くのは、自分ばかりでない事を確めたせいであろう。
その上、世を避けた仙人が碁《ご》を打つ響きでもなく、薄隠《すすきがく》れの女郎花《おみなえし》に露の音信《おとず》るる声でもない……音色《ねいろ》こそ違うが、見世《みせ》ものの囃子と同じく、気をそそって人を寄せる、鳴ものらしく思うから、傾く耳の誘わるる、寂しい横町へ電車を離れた。
向って日南《ひなた》の、背後《うしろ》は水で、思いがけず一本の菖蒲《あやめ》が町に咲いた、と見た。…
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