月代に、そう訊《き》いた。
「嵐お萩ッてえの……東西々々。」
 と飜然《ひらり》と隠れる。
「芸名《げいみょう》ではない。役の娘の名を聞かしておくれ、何て云うの、よ、お前。」
 と美しい女《ひと》は、やや急込《せきこ》んで言って、病身らしく胸を圧《おさ》えた。脱いだ羽織の、肩寒そうな一枚小袖の嬌娜姿《やさすがた》、雲を出《い》でたる月かと視《み》れば、離れた雲は、雪女に影を宿して、墨絵に艶《つや》ある青柳《あおやぎ》の枝。
 春の月の凄《すご》きまで、蒼青《まっさお》な、姿見の前に、立直って、
「お稲です。」
 と云って、ふと見向いた顔は、目鼻だち、水に朧《おぼろ》なものではなかった。

       十六

 舞台は居所がわりになるのだ、と楽屋のものが云った、――俳優《やくしゃ》は人に知らさないのを手際に化ものの踊るうち、俯向伏《うつむきふ》している間に、玉の曇《くもり》を拭《ぬぐ》ったらしい。……眉は鮮麗《あざやか》に、目はぱっちりと張《はり》を持って、口許《くちもと》の凜《りん》とした……やや強《きつ》いが、妙齢《としごろ》のふっくりとした、濃い生際《はえぎわ》に白粉《おしろい》
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