れたあとを、幾たびも張替えたが、火事には人先に持って遁《に》げる何十年|以来《このかた》の古馴染《ふるなじみ》だ。
馴染がいに口を利くなよ、私《わし》が呼んでも口を利くなよ。はて、何に映る顔だ知らん。……口を利くな、口を利くな。」
……と背の低いのが、滅入込《めりこ》みそうに、大《おおき》な仮髪《かつら》の頸《うなじ》を窘《すく》め、ひッつりそうな拳《こぶし》を二つ、耳の処へ威《おど》すがごとく、張肱《はりひじ》に、しっかと握って、腰をくなくなと、抜足差足。
で、目を据え、眉を張って、行燈に擦寄り擦寄り、
「はて、何に映った顔だ知らん、行燈か、行燈か、……口を利くなよ、行燈か。」
と熟《じっ》と覗《のぞ》く。
途端に、沈んだが、通る声で、
「私……行燈だよ。」
「わい、」と叫んで、饂飩屋は舞台を飛退《とびの》く。
十一
この古行燈が、仇《あだ》も情《なさけ》も、赤くこぼれた丁子《ちょうじ》のごとく、煤《すす》の中に色を籠《こ》めて消えずにいて、それが、針の穴を通して、不意に口を利いたような女の声には、松崎もぎょっとした。
饂飩屋は吃驚《びっくり》の呼吸を
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