、両方を竹で張った、真黒《まっくろ》な布の一張《ひとはり》、筵《むしろ》の上へ、ふわりと投げて颯《さっ》と拡げた。
 と見て、知りつつ松崎は、俄然《がぜん》として雲が湧《わ》いたか、とぎょっとした、――電車はあっても――本郷から遠路《とおみち》を掛けた当日。麗《うららか》さも長閑《のどか》さも、余り積《つも》って身に染むばかり暖かさが過ぎたので、思いがけない俄雨《にわかあめ》を憂慮《きづかわ》ぬではなかった処。
 彼方《むこう》の新粉屋が、ものの遠いように霞むにつけても、家路|遥《はる》かな思いがある。
 また、余所《よそ》は知らず、目の前のざっと劇場ほどなその空屋の裡《うち》には、本所の空一面に漲《みなぎ》らす黒雲は、畳込んで余りあるがごとくに見えた。
 暗い舞台で、小さな、そして爺様《じいさま》の饂飩屋は、おっかな、吃驚《びっくり》、わなわな大袈裟《おおげさ》に震えながら、
「何に映る……私《わし》が顔だ、――行燈《あんどん》か。まさかとは思うが、行燈か、行燈か?……返事をせまいぞ。この上|手前《てめえ》に口を利かれては叶《かな》わねえ。何分頼むよ。……面《つら》の皮は、雨風にめく
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