…本所駅へ、がたくた引込《ひっこ》む、石炭を積んだ大八車の通るのさえ、馬士《まご》は銜煙管《くわえぎせる》で、しゃんしゃんと轡《くつわ》が揺れそうな合方となる。
 絶えず続いて、音色《ねいろ》は替っても、囃子《はやし》は留まらず、行交《ゆきか》う船脚は水に流れ、蜘蛛手《くもで》に、角《つの》ぐむ蘆《あし》の根を潜《くぐ》って、消えるかとすれば、ふわふわと浮く。浮けば蝶の羽《は》の上になり下になり、陽炎《かげろう》に乗って揺れながら近づいて、日当《ひあたり》の橋の暖い袂《たもと》にまつわって、ちゃんちき、などと浮かれながら、人の背中を、トンと一つ軽く叩いて、すいと退《の》いて、
 ――おいで、おいで――
 と招いていそうで。
 手に取れそうな近い音。
 はっ、とその手を出すほどの心になると、橋むこうの、屋根を、ひょいひょいと手踊り雀、電信柱に下向きの傾《かたが》り燕、一羽気まぐれに浮いた鴎《かもめ》が、どこかの手飼いの鶯《うぐいす》交りに、音を捕うる人心《ひとごころ》を、はッと同音に笑いでもする気勢《けはい》。
 春たけて、日遅く、本所は塵《ちり》の上に、水に浮《うか》んだ島かとばかり、
前へ 次へ
全88ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング