…本所駅へ、がたくた引込《ひっこ》む、石炭を積んだ大八車の通るのさえ、馬士《まご》は銜煙管《くわえぎせる》で、しゃんしゃんと轡《くつわ》が揺れそうな合方となる。
絶えず続いて、音色《ねいろ》は替っても、囃子《はやし》は留まらず、行交《ゆきか》う船脚は水に流れ、蜘蛛手《くもで》に、角《つの》ぐむ蘆《あし》の根を潜《くぐ》って、消えるかとすれば、ふわふわと浮く。浮けば蝶の羽《は》の上になり下になり、陽炎《かげろう》に乗って揺れながら近づいて、日当《ひあたり》の橋の暖い袂《たもと》にまつわって、ちゃんちき、などと浮かれながら、人の背中を、トンと一つ軽く叩いて、すいと退《の》いて、
――おいで、おいで――
と招いていそうで。
手に取れそうな近い音。
はっ、とその手を出すほどの心になると、橋むこうの、屋根を、ひょいひょいと手踊り雀、電信柱に下向きの傾《かたが》り燕、一羽気まぐれに浮いた鴎《かもめ》が、どこかの手飼いの鶯《うぐいす》交りに、音を捕うる人心《ひとごころ》を、はッと同音に笑いでもする気勢《けはい》。
春たけて、日遅く、本所は塵《ちり》の上に、水に浮《うか》んだ島かとばかり、
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