に、寂しく、遠方《おちかた》を幽《かすか》に、――そして幽冥《ゆうめい》の界《さかい》を暗《やみ》から闇へ捜廻《さがしまわ》ると言った、厄年十九の娘の名は、お稲と云ったのを鋭く聞いた――仔細《しさい》あって忘れられぬ人の名なのであるから。――
「おかみさん、この芝居はどういう筋だい。」
「はいはい、いいえ、貴下《あなた》、子供が出たらめに致しますので、取留めはございませんよ。何の事でございますか、私どもは一向に分りません。それでも稽古《けいこ》だの何のと申して、それは騒ぎでございましてね、はい、はい、はい。」
 で手を揉《も》み手を揉み、正面《まとも》には顔を上げずに、ひょこひょこして言う。この古女房は、くたびれた藍色《あいいろ》の半纏《はんてん》に、茶の着もので、紺足袋に雪駄穿《せったばき》で居たのである。
「馬鹿にしやがれ。へッ、」
 と唐突《だしぬけ》に毒を吐いたは、立睡《たちねむ》りで居た頬被りで、弥蔵《やぞう》の肱《ひじ》を、ぐいぐいと懐中《ふところ》から、八ツ当りに突掛《つっか》けながら、
「人、面白くもねえ、貴方様お掛け遊ばせが聞いて呆《あき》れら。おはいはい、襟許《えり
前へ 次へ
全88ページ中29ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング