言った差配《おおや》の言葉は、怪しいまで陰に響いて、幕の膨らんだにつけても、誰か、大人が居て、蔭で声を助《す》けたらしく聞えたのであった。
 見物の児等は、神妙に黙って控えた。
 頬被《ほおかぶり》のずんぐり者は、腕を組んで立ったなり、こくりこくりと居眠る……
 饂飩屋が、ぼやんとした顔を上げた。さては、差置いた荷のかわりの行燈《あんどん》も、草紙の絵ではない。
 蟻は隠れたのである。

       九

「狐か、狸か、今のは何じゃい、どえらい目に逢わせくさった。」
 と饂飩屋は坂塀はずれに、空屋の大屋根から空を仰いで、茫然《ぼんやり》する。
 美しい女《ひと》と若い紳士の、並んで立った姿が動いて、両方|木賃宿《きちんやど》の羽目板の方を見向いたのを、――無台が寂しくなったため、もう帰るのであろうと見れば、さにあらず。
 そこへ小さな縁台を据えて、二人の中に、ちょんぼりとした円髷《まるまげ》を俯向《うつむ》けに、揉手《もみて》でお叩頭《じぎ》をする古女房が一人居た。
「さあ、どうぞ、旦那様、奥様、これへお掛け遊ばして、いえ、もう汚いのでございますが、お立ちなすっていらっしゃいますより
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