かん。」
「来《きた》れや、来れ。」と差配《おおや》は異変な声繕《こわづくろい》。
 一堪《ひとたま》りもなく、饂飩屋はのめり伏した。渋団扇で、頭を叩くと、ちょん髷仮髪《まげかつら》が、がさがさと鳴る。
「占めたぞ。」
「喰遁《くいに》げ。」
 と囁《ささ》き合うと、三人の児《こ》は、ひょいと躍って、蛙のようにポンポン飛込む、と幕の蔭に声ばかり。
 ――迷児の、迷児の、お稲さんやあ――
 描ける藤は、どんよりと重く匂って、おなじ色に、閃々《きらきら》と金糸のきらめく、美しい女《ひと》の半襟と、陽炎に影を通わす、居周囲《いまわり》は時に寂寞《ひっそり》した、楽屋の人数《にんず》を、狭い処に包んだせいか、張紙幕《びらまく》が中ほどから、見物に向いて、風を孕《はら》んだか、と膨れて見える……この影が覆蔽《かぶさ》るであろう、破筵《やれむしろ》は鼠色に濃くなって、蹲《しゃが》み込んだ児等《こども》の胸へ持上って、蟻《あり》が四五疋、うようよと這《は》った。……が、なぜか、物の本の古びた表面《おもて》へ、――来れや、来れ……と仮名でかきちらす形がある。
 見つつ松崎が思うまで、来れや、来れ……と
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