、物置の中の竹屋の竹さえ、茂った山吹の葉に見えた。
町はそこから曲る。
と追分で路《みち》が替って、木曾街道へ差掛《さしかか》る……左右戸毎《まていえなみ》の軒行燈《のきあんどん》。
ここにも、そこにも、ふらふらと、春の日を中《うち》へ取って、白く点《ひとも》したらしく、真昼浮出て朦《もう》と明るい。いずれも御泊り木賃宿《きちんやど》。
で、どの家も、軒より、屋根より、これが身上《しんしょう》、その昼行燈ばかりが目に着く。中《うち》には、廂先《ひさしさき》へ高々と燈籠《とうろう》のごとくに釣った、白看板の首を擡《もた》げて、屋台骨は地《つち》の上に獣《けもの》のごとく這ったのさえある。
吉野、高橋、清川、槙葉《まきは》。寝物語や、美濃《みの》、近江《おうみ》。ここにあわれを留《とど》めたのは屋号にされた遊女《おいらん》達。……ちょっと柳が一本《ひともと》あれば滅びた白昼の廓《くるわ》に斉《ひと》しい。が、夜寒《よさむ》の代《しろ》に焼尽して、塚のしるしの小松もあらず……荒寥《こうりょう》として砂に人なき光景《ありさま》は、祭礼《まつり》の夜《よ》に地震して、土の下に埋れた町の、壁の肉も、柱の血も、そのまま一落の白髑髏《しゃれこうべ》と化し果てたる趣あり。
絶壁の躑躅《つつじ》と見たは、崩れた壁に、ずたずたの襁褓《おむつ》のみ、猿曵《さるひき》が猿に着せるのであろう。
生命《いのち》の搦《から》む桟橋《かけはし》から、危《あやう》く傾いた二階の廊下に、日も見ず、背後《うしろ》むきに鼠の布子《ぬのこ》の背《せな》を曲げた首の色の蒼《あお》い男を、フト一人見附けたが、軒に掛けた蜘蛛《くも》の囲《い》の、ブトリと膨れた蜘蛛の腹より、人間は痩《や》せていた。
ここに照る月、輝く日は、兀《は》げた金銀の雲に乗った、土御門家《つちみかどけ》一流易道、と真赤《まっか》に目立った看板の路地から糶出《せりだ》した、そればかり。
空を見るさえ覗《のぞ》くよう、軒行燈の白いにつけ、両側の屋根は薄暗い。
この春の日向《ひなた》の道さえ、寂《さ》びれた町の形さえ、行燈に似て、しかもその白けた明《あかり》に映る……
表に、御泊りとかいた字の、その影法師のように、町幅の真《まっ》ただ中とも思う処に、曳棄《ひきす》てたらしい荷車が一台、屋台を乗せてガタリとある。
近《ちかづ》いて見ると、いや、荷の蔭に人が居た。
男か、女か。
と、見た体《てい》は、褪《あ》せた尻切《しりきり》の茶の筒袖《つつッぽ》を着て、袖を合わせて、手を拱《こまぬ》き、紺の脚絆穿《きゃはんばき》、草鞋掛《わらじがけ》の細い脚を、車の裏へ、蹈揃《ふみそろ》えて、衝《つ》と伸ばした、抜衣紋《ぬきえもん》に手拭《てぬぐい》を巻いたので、襟も隠れて見分けは附かぬ。編笠、ひたりと折合わせて、紐《ひも》を深く被《かぶ》ったなりで、がっくりと俯向《うつむ》いたは、どうやら坐眠《いねむ》りをしていそう。
城の縄張りをした体《てい》に、車の轅《え》の中へ、きちんと入って、腰は床几《しょうぎ》に落したのである。
飴屋《あめや》か、豆屋か、団子を売るか、いずれにも荷が勝った……おでんを売るには乾いている、その看板がおもしろい。……
四
屋台の正面を横に見せた、両方の柱を白木綿で巻立てたは寂しいが、左右へ渡して紅金巾《べにがなきん》をひらりと釣った、下に横長な掛行燈《かけあんどん》。
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一………………………………坂東よせ鍋《なべ》
一………………………………尾上天麩羅《おのえてんぷら》
一………………………………大谷おそば
一………………………………市川玉子焼
一………………………………片岡 椀盛《わんもり》
一………………………………嵐 お萩
一………………………………坂東あべ川
一………………………………市村しる粉
一………………………………沢村さしみ
一………………………………中村 洋食
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初日出揃い役者役人車輪に相勤め申候
名の上へ、藤の花を末濃《すそご》の紫。口上あと余白の処に、赤い福面女《おかめ》に、黄色な瓢箪男《ひょっとこ》、蒼《あお》い般若《はんにゃ》の可恐《こわ》い面。黒の松葺《まつたけ》、浅黄の蛤《はまぐり》、ちょっと蝶々もあしらって、霞を薄くぼかしてある。
引寄せられて慕って来た、囃子の音には、これだけ気の合ったものは無い。が、松崎は読返してみて苦笑いした。
坂東あべ川、市村しるこ、渠《かれ》はあまい名を春狐《しゅんこ》と号して、福面女に、瓢箪男、般若の面、……二十五座の座附きで駈出《かけだ》しの狂言方であったから。――
「串戯《じょうだん》じゃないぜ。」
思わず、声を出して独言《ひと
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