りごと》。
「親仁《おとっ》さん、おう、親仁さん。」
なぞのものぞ、ここに木賃の国、行燈の町に、壁を抜出た楽がきのごとく、陽炎に顕《あらわ》れて、我を諷《ふう》するがごとき浅黄の頭巾《ずきん》は?……
屋台の様子が、小児《こども》を対手《あいて》で、新粉細工を売るらしい。片岡牛鍋、尾上天麩羅、そこへ並べさせてみよう了簡《りょうけん》。
「おい、お爺《じ》い。」
と閑《ひま》なあまりの言葉がたき。わざと中《ちゅう》ッ腹に呼んでみたが、寂寞《じゃくまく》たる事、くろんぼ同然。
で、操《あやつり》の糸の切れたがごとく、手足を突張《つっぱ》りながら、ぐたりと眠る……俗には船を漕《こ》ぐとこそ言え、これは筏《いかだ》を流す体《てい》。
それに対して、そのまま松崎の分《わか》った袂《たもと》は、我ながら蝶が羽繕いをする心地であった。
まだ十歩と離れぬ。
その物売の、布子の円い背中なぞへ、同じ木賃宿のそこが歪《ゆが》みなりの角から、町幅を、一息、苗代形に幅の広くなった処があって、思いがけず甍《いらか》の堆《うずたか》い屋形が一軒。斜《ななめ》に中空をさして鯉《こい》の鱗《うろこ》の背を見るよう、電信柱に棟の霞んで聳《そび》えたのがある。
空屋か、知らず、窓も、門《かど》も、皮をめくった、面に斉《ひと》しく、大《おおき》な節穴が、二ツずつ、がッくり窪《くぼ》んだ眼《まなこ》を揃えて、骸骨《がいこつ》を重ねたような。
が、月には尾花か、日向《ひなた》の若草、廂《ひさし》に伸びたも春めいて、町から中へ引込んだだけ、生ぬるいほどほかほかする。
四辺《あたり》に似ない大構えの空屋に、――二間ばかりの船板塀《ふないたべい》が水のぬるんだ堰《いせき》に見えて、その前に、お玉杓子《たまじゃくし》の推競《おしくら》で群る状《さま》に、大勢|小児《こども》が集《たか》っていた。
おけらの虫は、もじゃもじゃもじゃと皆|動揺《どよ》めく。
その癖静まって声を立てぬ。
直《じ》きその物売の前に立ちながら、この小さな群集の混合ったのに気が附かなかったも道理こそ、松崎は身に染みた狂言最中見ぶつのひっそりした桟敷《さじき》うらを来たも同じだと思った。
役者は舞台で飛んだり、刎《は》ねたり、子供芝居が、ばたばたばた。
五
大当り、尺的《しゃくまと》に矢の刺《ささ》っただけは新粉屋の看板より念入なり。一面藤の花に、蝶々まで同じ絵を彩った一張の紙幕を、船板塀の木戸口に渡して掛けた。正面前の処へ、破筵《やれむしろ》を三枚ばかり、じとじとしたのを敷込んだが、日に乾くか、怪《あやし》い陽炎となって、むらむらと立つ、それが舞台。
取巻いた小児《こども》の上を、鮒《ふな》、鯰《なまず》、黒い頭、緋鯉《ひごい》と見たのは赤い切《きれ》の結綿仮髪《ゆいわたかつら》で、幕の藤の花の末を煽《あお》って、泳ぐように視《なが》められた。が、近附いて見ると、坂東、沢村、市川、中村、尾上、片岡、役者の連名も、如件《くだんのごとし》、おそば、お汁粉、牛鍋なんど、紫の房の下に筆ぶとに記してあった……
松崎が、立寄った時、カイカイカイと、ちょうど塀の内で木が入って、紺の衣服《きもの》に、黒い帯した、円い臀《しり》が、蹠《かかと》をひょい、と上げて、頭からその幕へ潜ったのを見た。――筵舞台は行儀わるく、両方へ歪《ゆが》んだが。
半月形に、ほかほかとのぼせた顔して、取廻わした、小さな見物、わやわやとまた一動揺《ひとどよめき》。
中に、目の鋭い屑屋《くずや》が一人、箸《はし》と籠《かご》を両方に下げて、挟んで食えそうな首は無しか、とじろじろと睨廻《ねめま》わす。
もう一人、袷《あわせ》の引解《ひっと》きらしい、汚れた縞《しま》の単衣《ひとえ》ものに、綟《よ》綟れの三尺で、頬被《ほおかぶ》りした、ずんぐり肥《ふと》った赤ら顔の兄哥《あにい》が一人、のっそり腕組をして交《まじ》る……
二人ばかり、十二三、四五ぐらいな、子守の娘《ちび》が、横ちょ、と猪首《いくび》に小児《こども》を背負《しょ》って、唄も唄わず、肩、背を揺《ゆす》る。他は皆、茄子《なすび》の蔓《つる》に蛙の子。
楽屋――その塀の中《うち》で、またカチカチと鳴った。
処へ、通《とおり》から、ばらばらと駈《か》けて来た、別に二三人の小児を先に、奴《やっこ》を振らせた趣で、や! あの美しい女《ひと》と、中折《なかおれ》の下に眉の濃い、若い紳士と並んで来たのは、浮世の底へ霞を引いて、天降《あまくだ》ったように見えた。
ここだ、この音だ――と云ったその紳士の言《ことば》を聞いた、松崎は、やっぱり渠等《かれら》も囃子の音に誘われて、男女《なんにょ》のどちらが言出したか、それは知らぬが、連立って、先刻《さっ
前へ
次へ
全22ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング