き》の電車の終点から、ともに引寄せられて来たものだと思った。
 時に、その二人も、松崎も、大方この芝居の鳴物が、遠くまで聞えたのであろうと頷《うなず》く……囃子はその癖、ここに尋ね当った現下《いま》は何も聞えぬ。……
 絵の藤の幕間《まくあい》で、木は入ったが舞台は空しい。
「幕が長いぜ、開けろい。遣《や》らねえか、遣らねえか。」
 とずんぐり者の頬被《ほおかぶり》は肩を揺《ゆす》った。が、閉ったばかり、いささかも長い幕間でない事が、自分にも可笑《おか》しいか、鼻先《はなっさき》の手拭《てぬぐい》の結目《むすびめ》を、ひこひこと遣って笑う。
 様子が、思いも掛けず、こんな場所、子供芝居の見物の群《むれ》に来た、美しい女《ひと》に対して興奮したものらしい。
 実際、雲の青い山の奥から、淡彩《うすいろどり》の友染《ゆうぜん》とも見える、名も知れない一輪の花が、細谷川を里近く流れ出《い》でて、淵《ふち》の藍《あい》に影を留めて人目に触れた風情あり。石斑魚《うぐい》が飛んでも松葉が散っても、そのまま直ぐに、すらすらと行方も知れず流れよう、それをしばらくでも引留めるのは、ただちっとも早く幕を開ける外はない、と松崎の目にも見て取られた。
「頼むぜ頭取。」
 頬被《ほおかぶり》がまた喚《わめ》く。

       六

 あたかもその時、役者の名の余白に描いた、福面女《おかめ》、瓢箪男《ひょっとこ》の端をばさりと捲《まく》ると、月代《さかやき》茶色に、半白《ごましお》のちょん髷仮髪《まげかつら》で、眉毛の下《さが》った十ばかりの男の児《こ》が、渋団扇《しぶうちわ》[#「団扇」は底本では「団扉」]の柄を引掴《ひッつか》んで、ひょこりと登場。
「待ってました。」
 と頬被が声を掛けた。
 奴《やっこ》は、とぼけた目をきょろんと遣《や》ったが、
「ちぇ、小道具め、しようがねえ。」
 と高慢な口を利いて、尻端折《しりはしょ》りの脚をすってん、刎《は》ねるがごとく、二つ三つ、舞台をくるくると廻るや否や、背後《うしろ》向きに、ちょっきり結びの紺兵児《こんへこ》の出尻《でっちり》で、頭から半身また幕へ潜《くぐ》ったが、すぐに摺抜《すりぬ》けて出直したのを見れば、うどん、当り屋とのたくらせた穴だらけの古行燈《ふるあんどん》を提げて出て、筵《むしろ》の上へ、ちょんと直すと、奴《やっこ》はその蔭で、膝を折って、膝開《ひざはだ》けに踏張《ふんば》りながら、件《くだん》の渋団扇で、ばたばたと煽《あお》いで、台辞《せりふ》。
「米が高値《たか》いから不景気だ。媽々《かかあ》めにまた叱られべいな。」
 でも、ちょっと含羞《はにか》んだか、日に焼けた顔を真赤《まっか》に俯向《うつむ》く。同じ色した渋団扇、ばさばさばさ、と遣った処は巧緻《うま》いものなり。
「いよ、牛鍋。」と頬被。
 片岡牛鍋と云うのであろう、が、役は饂飩屋《うどんや》の親仁《おやじ》である。
 チャーン、チャーン……幕の中《うち》で鉦《かね》を鳴らす。
 ――迷児《まいご》の、迷児の、迷児やあ――
 呼ばわり連れると、ひょいひょいと三人出た……団粟《どんぐり》ほどな背丈を揃えて、紋羽《もんば》の襟巻を頸《くび》に巻いた大屋様。月代《さかやき》が真青《まっさお》で、鬢《びん》の膨れた色身《いろみ》な手代、うんざり鬢の侠《いさみ》が一人、これが前《さき》へ立って、コトン、コトンと棒を突く。
「や、これ、太吉さん、」
 と差配様《おおやさま》声を掛ける。中の青月代《あおさかやき》が、提灯《ちょうちん》を持替えて、
「はい、はい。」と返事をした。が、界隈《かいわい》の荒れた卵塔場から、葬礼《とむらい》あとを、引攫《ひっさら》って来たらしい、その提灯は白張《しらはり》である。
 大屋は、カーンと一つ鉦《かね》を叩いて、
「大分|夜《よ》が更けました。」
「亥刻《いのこく》過ぎでございましょう、……ねえ、頭《かしら》。」
「そうよね。」
 と棒をコツン、で、くすくすと笑う。
「笑うな、真面目《まじめ》に真面目に、」と頬被がまた声を掛ける。
 差配様が小首を傾け、
「時に、もし、迷児、迷児、と呼んで歩行《ある》きますが、誰某《だれそれ》と名を申して呼びませいでも、分りますものでござりましょうかね。」
「私《わっし》もさ、思ってるんで。……どうもね、ただこう、迷児と呼んだんじゃ、前方《さき》で誰の事だか見当が附くめえてね、迷児と呼ばれて、はい、手前でござい、と顔を出す奴《やつ》もねえもんでさ。」とうんざり鬢が引取って言う。
「まずさね……それで闇《くら》がりから顔を出せば、飛んだ妖怪《ばけもの》でござりますよ。」
 青月代の白男《しろおとこ》が、袖を開いて、両方を掌《て》で圧《おさ》え、
「御道理《ごもっとも》でござい
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