きたいようだったの。
 髮のいい事なんて、もっとも盛《さかり》も盛だけれども。」
「幾歳《いくつ》だ。」
「十九……明けてですよ。」
「ああ、」と思わず煙管《きせる》を落した。
「勿論、お婿さんは知らずらしいね。」
「ええ、そのお婿さんの事で、まあ亡くなったんですよ。」
 はっと思い、
「や、自殺か。」
「おお吃驚《びっくり》した……慌てるわねえ、お前さんは。いいえ、自殺じゃないけれども、私の考えだと、やっぱり同一《おんなじ》だわ、自殺をしたのも。」
「じゃどうしたんだよ。」
「それがだわね。」
「焦《じれ》ったい女だな。」
「ですから静《しずか》にお聞きなさいなね、稲ちゃんの内じゃ、成りたけ内証《ないしょ》に秘《かく》していたんだそうですけれど、あの娘《こ》はね、去年の夏ごろから――その事で――狂気《きちがい》になったんですって。」
「あの、綺麗な娘《こ》が。」
「まったくねえ。」
 と俯向《うつむ》いて、も一つ半纏の襟を合わせる。

       十七

「妙齢《としごろ》で、あの容色《きりょう》ですからね、もう前《ぜん》にから、いろいろ縁談もあったそうですけれど、お極《きま》りの長し短しでいた処、お稲ちゃんが二三年前まで上っていなすった……でも年二季の大温習《おおざらい》には高台へ出たんだそうです……長唄のお師匠さんの橋渡しで。
 家《うち》は千駄木辺で、お父さんは陸軍の大佐だか少将だか、それで非職《ひい》てるの。その息子さんが新しい法学士なんですって……そこからね、是非、お嫁さんに欲《ほし》いって言ったんですとさ。
 途中で、時々顔を見合って、もう見合いなんか済んでるの。男の方は大変な惚方《ほれかた》なのよ。もっとも家同士、知合いというんでも何でもないんですから、口を利いたことなんて、そりゃなかったんでしょうけれど、ほんに思えば思わるるとやらだわね。」
 半纏着の蘭菊は、指のさきで、火鉢の縁《ふち》へちょいと当って、
「お稲ちゃんの方でも、嬉しくない事はなかったんでしょう。……でね、内々その気だったんだって、……お師匠さんは云うんですとさ、――隣家《となり》の女房《かみ》さんの、これは談話《はなし》よ。」
 まだ卒業前ですから、お取極《とりき》めは、いずれ学校が済んでからッて事で、のびのびになっていたんだそうですがね。
 去年の春、お茶の水の試験が済むと、さあ、その翌日《あくるひ》にでも結納を取替わせる勢《いきおい》で、男の方から急込《せきこ》んで来たんでしょう。
 けれども、こっちぢゃ煮切《にえき》らない、というのがね――あの、娘《こ》にはお母《っか》さんがありません。お父さんというのは病身で、滅多に戸外《そと》へも出なさらない、何でも中気か何からしいんです――後家さんで、その妹さん、お稲ちゃんには叔母に当る、お婆さんのハイカラが取締って、あの娘《こ》の兄さん夫婦が、すっかり内の事を遣《や》っているんだわね。
 その兄さんというのが、何とか云う、朝鮮にも、満洲とか、台湾にも出店のある、大《おおき》な株式会社に、才子で勤めているんです。
 その何ですとさ、会社の重役の放蕩息子《どらむすこ》が、ダイヤの指輪で、春の歌留多《かるた》に、ニチャリと、お稲ちゃんの手を圧《おさ》えて、おお可厭《いや》だ。」
 と払う真似して、
「それで、落第、もう沢山。」
「どうだか。」
「ほんとうですとも。それからそのニチャリが、」
「右のな、」
 と春狐は、ああと歎息する。
「ええ、ぞっこんとなって、お稲ちゃんをたってと云うの、これには嫂《あによめ》が一はながけに乗ったでしょう。」
「極《きま》りでいやあがる。」
「大分、お芝居になって来たわね。」
「余計な事を言わないで……それから、」
「兄さんの才子も、やっぱりその気だもんですからね、いよいよという談話《はなし》の時、きっぱり兄さんから断ってしまったんですって――無い御縁とおあきらめ下さい、か何かでさ。」
「その法学士の方をだな、――無い御縁が凄《すさま》じいや、てめえが勝手に人の縁を、頤《あご》にしゃぼん玉の泡沫《あぶく》を塗って、鼻の下を伸ばしながら横撫でに粧《めけ》やあがる西洋|剃刀《かみそり》で切ったんじゃないか。」
「ねえ……鬱《ふさ》いでいましたとさ、お稲ちゃんは、初心《うぶ》だし、世間見ずだから、口へ出しては何にも言わなかったそうだけれど……段々、御飯が少くなってね、好《すき》なものもちっとも食べない。
 その癖、身じまいをする事ったら、髪も朝に夕に撫でつけて、鬢《びん》の毛一筋こぼしていた事はない。肌着も毎日のように取替えて、欠かさずに湯に入って、綺麗にお化粧をして、寝る時はきっと寝白粧《ねおしろい》をしたんですって。
 皓歯《しらは》に紅《べに》よ、凄《すご》いようじゃ
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