腰をなよやかに、片手を膝《ひざ》に垂れた時、早《は》や其の襖際に気勢《けはい》した資治《やすはる》卿の跫音《あしおと》の遠ざかるのが、静《しずか》に聞えて、もとの脇廊下《わきろうか》の其方《そなた》に、厳《おごそか》な衣冠束帯《いかんそくたい》の姿が――其の頃の御館《みたち》の状《さま》も偲《しの》ばれる――襖《ふすま》の羽目《はめ》から、黄菊《きぎく》の薫《かおり》ともろともに漏《も》れ透いた。
藤の局は騒がなかつた。
「誰《たれ》ぢや、何ものぢや。」
「うゝ。」
と呻《うめ》くやうに言つて、ぶる/\と、ひきつるが如く首を掉《ふ》る。渠《かれ》は、四十ばかりの武士《さむらい》で、黒の紋着《もんつき》、袴《はかま》、足袋跣《たびはだし》で居た。鬢《びん》乱れ、髻《もとどり》はじけ、薄痘痕《うすあばた》の顔色《がんしょく》が真蒼《まっさお》で、両眼《りょうがん》が血走つて赤い。酒気は帯びない。宛如《さながら》、狂人、乱心のものと覚えたが、いまの気高い姿にも、慌《あわ》てゝあとへ退《ひ》かうとしないで、ひよろりとしながら前へ出る時、垂々《たらたら》と血の滴《したた》るばかり抜刀《ばっと
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