刻の、それよ。……城の石垣に於て、大蛇《おおへび》と捏合《こねお》うた、あの臭気《におい》が脊筋《せすじ》から脇へ纏《まと》うて、飛ぶほどに、駈《か》けるほどに、段々|堪《たま》らぬ。よつて、此の大盥《おおだらい》で、一寸《ちょっと》行水《ぎょうずい》をばちや/\遣《や》つた。
 愚僧は好事《ものずき》――お行者こそ御苦労な。江戸まで、あの荷物を送《おくり》と見えます。――武士《さむらい》は何とした、心《しん》が萎《な》えて、手足が突張《つっぱ》り、殊《こと》の外《ほか》疲れたやうに見受けるな。」
「おゝ、其の武士《さむらい》は、部役《ぶやく》のほかに、仔細あつて、些《ち》と灸《きゅう》を用ゐたのぢや。」
「道理こそ、……此は暑からう。待て/\、お行者《ぎょうじゃ》。灸と言へば、煙草《たばこ》が一吹《ひとふか》し吹したい。丁《ちょう》ど、あの岨道《そばみち》に蛍《ほたる》ほどのものが見える。猟師が出たな。火縄《ひなわ》らしい。借りるぞよ。来い。」
 とハタと掌《てのひら》を一つ打つと、遙《はるか》に隔《へだ》つた真暗《まっくら》な渚《なぎさ》から、キリ/\/\と舞ひながら、森も潜《くぐ
前へ 次へ
全51ページ中30ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング