へし折つた山伏の片脛のあとには、又おなじやうな脛が生えるのであつた。
 杉なる火の車は影を滅《け》した。寂寞《せきばく》として一層もの凄《すご》い。
「骨も筋もないわ、肝魂《きもたましい》も消えて居る。不便《ふびん》や、武士《さむらい》……詫《わび》をして取らさうか。」
 と小法師が、やゝもの静《しずか》に、
「お行者よ。灸《きゅう》とは何かな。」

        七

 此の間《ま》に――
「塩辛《しおから》い。」
 と言ふ山伏《やまぶし》の声がして、がぶ/\。
「塩辛い。」
 と言つて、湖水の水を、がぶ/\と飲んだ――
「お行者《ぎょうじゃ》。」
「其の武士《さむらい》は、小堀伝十郎《こぼりでんじゅうろう》と申す――陪臣《ばいしん》なれど、それとても千石《せんごく》を食《は》むのぢや。主人の殿《との》は松平大島守《まつだいらおおしまのかみ》と言ふ……」
「西国方《さいこくがた》の諸侯《だいみょう》だな。」
「されば御譜代《ごふだい》。将軍家に、流《ながれ》も源《みなもと》も深い若年寄《わかどしより》ぢや。……何と御坊《ごぼう》。……今度、其の若年寄に、便宜《べんぎ》あつて、京都比野大納言殿より、(江戸隅田川の都鳥《みやこどり》が見たい、一羽首尾ようして送られよ。)と云ふお頼みがあつたと思へ。――御坊の羽黒、拙道《せつどう》の秋葉に於いても、旦那《だんな》たちがこの度《たび》の一儀《いちぎ》を思ひ立たれて、拙道|等《ら》使《つかい》に立つたも此のためぢや。申さずとも、御坊は承知と存ずるが。」
「はあ、然《そ》うか、いや知らぬ、愚僧|早走《はやばし》り、早合点《はやがってん》の癖で、用だけ聞いて、して来いな、とお先ばしりに飛出《とびで》たばかりで、一向《いっこう》に仔細は知らぬ。が、扨《さて》は、根ざす処《ところ》があるのであつたか。」
「もとよりぢや。――大島守《おおしまのかみ》が、此の段、殿中に於いて披露に及ぶと、老中《ろうじゅう》はじめ額《ひたい》を合せて、
 此は今めかしく申すに及ばぬ。業平朝臣《なりひらあそん》の(名にしおはゞいざこととはむ)歌の心をまのあたり、鳥の姿に見たいと言ふ、花につけ、月につけ、をりからの菊《きく》紅葉《もみじ》につけての思《おも》ひ寄《より》には相違あるまい。……大納言|心《こころ》では、将軍家は、其の風流の優しさに感じて、都鳥をば一番《ひとつがい》、そつと取り、紅《くれない》、紫《むらさき》の房《ふさ》を飾つた、金銀|蒔絵《まきえ》の籠《かご》に据《す》ゑ、使《つかい》も狩衣《かりぎぬ》に烏帽子《えぼし》して、都にのぼす事と思はれよう。ぢやが、海苔《のり》一|帖《じょう》、煎餅《せんべい》の袋にも、贈物《おくりもの》は心すべきぢや。すぐに其は対手《あいて》に向ふ、当方の心持《こころもち》の表《しるし》に相成《あいな》る。……将軍家へ無心《むしん》とあれば、都鳥一羽も、城一つも同じ道理ぢや。よき折から京方《かみがた》に対し、関東の武威をあらはすため、都鳥を射《い》て、鴻《こう》の羽《はね》、鷹《たか》の羽《は》の矢を胸《むな》さきに裏掻《うらか》いて貫《つらぬ》いたまゝを、故《わざ》と、蜜柑箱《みかんばこ》と思ふが如何《いかが》、即ち其の昔、権現様《ごんげんさま》戦場お持出《もちだ》しの矢疵《やきず》弾丸痕《たまあと》の残つた鎧櫃《よろいびつ》に納めて、槍《やり》を立てて使者を送らう。と言ふ評定《ひょうじょう》ぢや。」
「気障《きざ》な奴だ。」
「むゝ、先《ま》づ聞けよ。――評定は評定なれど、此を発議《ほつぎ》したは今時の博士《はかせ》、秦四書頭《はたししょのかみ》と言ふ親仁《おやじ》ぢや。」
「あの、親仁《おやじ》。……予《かね》て大島守《おおしまのかみ》に取入《とりい》ると聞いた。成程《なるほど》、其辺《そのへん》の催《もよお》しだな。積《つも》つても知れる。老耄《おいぼれ》儒者めが、家《うち》に引込《ひっこ》んで、溝端《どぶばた》へ、桐《きり》の苗《なえ》でも植ゑ、孫娘の嫁入道具の算段なりとして居《お》れば済むものを――いや、何時《いつ》の世にも当代におもねるものは、当代の学者だな。」
「塩辛い……」
 と山伏《やまぶし》は、又したゝか水を飲んで、
「其処《そこ》でぢや……松平大島守、邸《やしき》は山ぢやが、別荘が本所大川《ほんじょおおかわ》べりにあるに依《よ》り、かた/″\大島守か都鳥を射《い》て取る事に成つた。……此の殿、聊《いささ》かものの道理を弁《わきま》へてゐながら、心得違ひな事は、諸事万端、おありがたや関東の御威光がりでな。――一年《ひととせ》、比野大納言、まだお年若《としわか》で、京都|御名代《ごみょうだい》として、日光の社参《しゃさん》に下《くだ》られたを饗応《きょう
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