おう》して、帰洛《きらく》を品川へ送るのに、資治《やすはる》卿の装束《しょうぞく》が、藤色《ふじいろ》なる水干《すいかん》の裾《すそ》を曳《ひ》き、群鵆《むらちどり》を白く染出《そめい》だせる浮紋《うきもん》で、風折烏帽子《かざおりえぼし》に紫《むらさき》の懸緒《かけお》を着けたに負けない気で、此《この》大島守は、紺染《こんぞめ》の鎧直垂《よろいひたたれ》の下に、白き菊綴《きくとじ》なして、上には紫の陣羽織。胸をこはぜ掛《がけ》にて、後《うしろ》へ折開《おりひら》いた衣紋着《えもんつき》ぢや。小袖《こそで》と言ふのは、此れこそ見よがしで、嘗《かつ》て将軍家より拝領の、黄なる地《じ》の綾《あや》に、雲形《くもがた》を萌葱《もえぎ》で織出《おりだ》し、白糸《しろいと》を以て葵《あおい》の紋着《もんつき》。」
「うふ。」
 と小法師《こほうし》が噴笑《ふきだ》した。
「何と御坊《ごぼう》。――資治卿が胴袖《どてら》に三尺《さんじゃく》もしめぬものを、大島守|其《そ》の装《なり》で、馬に騎《の》つて、資治卿の駕籠《かご》と、演戯《わざおぎ》がかりで向合《むかいあ》つて、どんなものだ、とニタリとした事がある。」
「気障《きざ》な奴だ。」
「大島守は、おのれ若年寄の顕達《けんたつ》と、将軍家の威光、此見《これみ》よがしの上に、――予《かね》て、資治卿が美男におはす、従つて、此の卿一生のうちに、一千人の女を楽《たのし》む念願あり、また婦人の方より恁《かく》と知りつつ争つて媚《こび》を捧げ、色を呈《てい》する。専《もっぱ》ら当代の在五中将《ざいごちゅうじょう》と言ふ風説《うわさ》がある――いや大島守、また相当の色男がりぢやによつて、一つは其|嫉《ねた》みぢや……負けまい気ぢや。
 されば、名にしおはゞの歌につけて、都鳥の所望《しょもう》にも、一つは曲《ね》つたものと思つて可《よ》い。
 また此の、品川で、陣羽織|菊綴《きくとじ》で、風折烏帽子《かざおりえぼし》紫《むらさき》の懸緒《かけお》に張合《はりあ》つた次第を聞いて、――例の天下の博士《はかせ》めが、(遊ばされたり、老生《ろうせい》も一度|其《そ》の御扮装を拝見。)などと申す。
 処《ところ》で、今度、隅田川|両岸《りょうがん》の人払《ひとばらい》、いや人よせをして、件《くだん》の陣羽織、菊綴、葵紋服《あおいもんぷく》の扮装《いでたち》で、拝見ものの博士を伴ひ、弓矢を日置流《へぎりゅう》に手《た》ばさんで静々《しずしず》と練出《ねりだ》した。飛びも、立ちもすれば射取《いと》られう。こゝに可笑《おかし》な事は、折から上汐《あげしお》満々たる……」蘆の湖は波一|条《じょう》、銀河を流す気勢《けはい》がした。
「かの隅田川に、唯《ただ》一羽なる都鳥があつて、雪なす翼は、朱鷺色《ときいろ》の影を水脚《みずあし》に引いて、すら/\と大島守の輝いて立つ袖《そで》の影に入《い》るばかり、水岸《みずぎし》へ寄つて来た。」
「はて、それはな?」
「誰も知るまい。――大島守の邸《やしき》に、今年二十になる(白妙《しろたえ》。)と言つて、白拍子《しらびょうし》の舞《まい》の手《て》だれの腰元が一人あるわ――一年《ひととせ》……資治卿を饗応の時、酒宴《うたげ》の興に、此の女が一《ひと》さし舞つた。――ぢやが、新曲とあつて、其の今様《いまよう》は、大島守の作る処《ところ》ぢや。」
「迷惑々々。」
「中に(時鳥《ほととぎす》)何とかと言ふ一句がある。――白妙が(時鳥)とうたひながら、扇をかざして膝《ひざ》をついた。時しも屋《や》の棟《むね》に、時鳥が一《いっ》せいしたのぢや。大島守の得意、察するに余《あまり》ある。……ところが、時鳥は勝手に飛んだので、……こゝを聞け、御坊《ごぼう》よ。
 白妙は、資治卿の姿に、恍惚《うっとり》と成つたのぢや。
 大島守は、折に触れ、資治卿の噂《うわさ》をして、……その千人の女に契《ちぎ》ると言ふ好色をしたゝかに詈《ののし》ると、……二人三人の妾《めかけ》妾《てかけ》、……故《わざ》とか知らぬ、横肥《よこぶと》りに肥つた乳母《うば》まで、此れを聞いて爪《つま》はじき、身ぶるひをする中《うち》に、白妙|唯《ただ》一人、(でも。)とか申して、内々《ないない》思ひをほのめかす、大島守は勝手が違ふ上に、おのれ容色《きりょう》自慢だけに、いまだ無理口説《むりくどき》をせずに居《お》る。
 其の白妙が、めされて都に上《のぼ》ると言ふ、都鳥の白粉《おしろい》の胸に、ふつくりと心魂《こころだましい》を籠《こ》めて、肩も身も翼に入れて憧憬《あこが》れる……其の都鳥ぢや。何と、遁《に》げる処《どころ》ではあるまい。――しかし、人間には此は解らぬ。」
「むゝ、聞えた。」
「都鳥は手とらまへぢや。蔵人《くら
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