お》の事だ。今更ながら、一同の呆《あき》れた処《ところ》を、廂《ひさし》を跨《また》いで倒《さかしま》に覗《のぞ》いて狙《ねら》つた愚僧だ。つむじ風を哄《どっ》と吹かせ、白洲《しらす》の砂利《じゃり》をから/\と掻廻《かきまわ》いて、パツと一斉に灯を消した。逢魔《おうま》ヶ|時《どき》の暗《くら》まぎれに、ひよいと掴《つか》んで、空《くう》へ抜けた。お互に此処等《ここら》は手軽い。」
「いや、しかし、御苦労ぢや。其処《そこ》で何か、すぐに羽黒へ帰らいで、屑屋を掴んだまゝ、御坊《ごぼう》関所|近《ぢか》く参られたは、其の男に後難《ごなん》あらせまい遠慮かな。」
「何、何、愚僧が三度息を吹掛《ふきか》け、あの身体中《からだじゅう》まじなうた。屑買《くずかい》が明日《あす》が日、奉行の鼻毛を抜かうとも、嚔《くさめ》をするばかりで、一向《いっこう》に目は附けん。其処《そこ》に聊《いささか》も懸念はない。が、正直な気のいゝ屑屋だ。不便《ふびん》や、定めし驚いたらう。……労力《ほねおり》やすめに、京見物をさせて、大仏前の餅《もち》なりと振舞《ふるま》はうと思うて、足ついでに飛んで来た。が、いや、先刻の、それよ。……城の石垣に於て、大蛇《おおへび》と捏合《こねお》うた、あの臭気《におい》が脊筋《せすじ》から脇へ纏《まと》うて、飛ぶほどに、駈《か》けるほどに、段々|堪《たま》らぬ。よつて、此の大盥《おおだらい》で、一寸《ちょっと》行水《ぎょうずい》をばちや/\遣《や》つた。
 愚僧は好事《ものずき》――お行者こそ御苦労な。江戸まで、あの荷物を送《おくり》と見えます。――武士《さむらい》は何とした、心《しん》が萎《な》えて、手足が突張《つっぱ》り、殊《こと》の外《ほか》疲れたやうに見受けるな。」
「おゝ、其の武士《さむらい》は、部役《ぶやく》のほかに、仔細あつて、些《ち》と灸《きゅう》を用ゐたのぢや。」
「道理こそ、……此は暑からう。待て/\、お行者《ぎょうじゃ》。灸と言へば、煙草《たばこ》が一吹《ひとふか》し吹したい。丁《ちょう》ど、あの岨道《そばみち》に蛍《ほたる》ほどのものが見える。猟師が出たな。火縄《ひなわ》らしい。借りるぞよ。来い。」
 とハタと掌《てのひら》を一つ打つと、遙《はるか》に隔《へだ》つた真暗《まっくら》な渚《なぎさ》から、キリ/\/\と舞ひながら、森も潜《くぐ》つて、水の面《おも》を舞つて来るのを、小法師《こほうし》は指の先へ宙で受けた。つはぶきの葉を喇叭《らっぱ》に巻いたは、即《すなわ》ち煙管《きせる》で。蘆《あし》の穂といはず、草と言はず※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》り取つて、青磁色《せいじいろ》の長い爪に、火を翳《かざ》して、ぶく/\と吸《すい》つけた。火縄を取つて、うしろ状《ざま》の、肩越《かたごし》に、ポン、と投げると、杉の枝に挟まつて、ふつと消えたと思つたのが、めら/\と赤く燃上《もえあが》つた。ぱち/\と鳴ると、双子山颪《ふたごやまおろし》颯《さっ》として、松明《たいまつ》ばかりに燃えたのが、見る/\うちに、轟《ごう》と響いて、凡《およ》そ片輪車《かたわぐるま》の大きさに火の搦《から》んだのが、梢《こずえ》に掛《かか》つて、ぐる/\ぐる/\と廻る。
 此の火に照《てら》された、二個の魔神の状《さま》を見よ。けたゝましい人声《ひとごえ》幽《かすか》に、鉄砲を肩に、猟師が二人のめりつ、反《そ》りつ、尾花《おばな》の波に漂うて森の中を遁《に》げて行く。
 山兎《やまうさぎ》が二三|疋《びき》、あとを追ふやうに、躍《おど》つて駈《か》けた。
「小法師、あひかはらず悪戯《いたずら》ぢや。」
 と兜《かぶと》のやうな額皺《ひたいじわ》の下に、恐《おそろ》しい目を光らしながら、山伏《やまぶし》は赤い鼻をひこ/\と笑つたが、
「拙道《せつどう》、煙草《たばこ》は不調法《ぶちょうほう》ぢや。然《さ》らば相伴《しょうばん》に腰兵糧《こしびょうろう》は使はうよ。」
 と胡坐《あぐら》かいた片脛《かたずね》を、づかりと投出《なげだ》すと、両手で逆に取つて、上へ反《そら》せ、膝《ひざ》ぶしからボキリボキリ、ミシリとやる。
「うゝ、うゝ。」
「あつ。」
 と、武士《さむらい》と屑屋は、思はず声を立てたのである。
 見向きもしないで、山伏は挫折《へしお》つた其の己《おの》が片脛を鷲掴《わしづか》みに、片手で踵《きびす》が穿《は》いた板草鞋《いたわらじ》を※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》り棄《す》てると、横銜《よこぐわ》へに、ばり/\と齧《かじ》る……
 鮮血《なまち》の、唇を滴々《たらたら》と伝ふを視《み》て、武士《さむらい》と屑屋は一《ひと》のめりに突伏《つっぷ》した。
 不思議な事には、
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