変らぬことながら、お通は追懐の涙を灌《そそ》ぎ、花を手向けて香を燻《くん》じ、いますが如く斉眉《かしず》きて一時余《いっときあまり》も物語りて、帰宅の道は暗うなりぬ。
 急足《いそぎあし》に黒壁さして立戻る、十|間《けん》ばかり間《あい》を置きて、背後《うしろ》よりぬき足さし足、密《ひそか》に歩を運ぶはかの乞食僧なり。渠《かれ》がお通のあとを追うは殆《ほとん》ど旬日前《じゅんじつぜん》よりにして、美人が外出をなすに逢《お》うては、影の形に添う如く絶えずそこここ附絡《つきまと》うを、お通は知らねど見たる者あり。この夕《ゆうべ》もまた美人をその家まで送り届けし後、杉の根の外《おもて》に佇《たたず》みて、例の如く鼻に杖《つえ》をつきて休らいたり。
 時に一縷《いちる》の暗香《あんこう》ありて、垣の内より洩《も》れけるにぞ法師は鼻を蠢《うご》めかして、密に裡《うち》を差覗《さしのぞ》けば、美人は行水を使いしやらむ、浴衣涼しく引絡《ひきまと》い、人目のあらぬ処なれば、巻帯姿《まきおびすがた》繕わで端居《はしい》したる、胸のあたりの真白きに腰の紅《くれない》照添いて、眩《まばゆ》きばかり美《うる》
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