払い、去年《こぞ》よりここに移りたるなり。もとより巨額の公債を有し、衣食に事欠かざれば、花車《かしゃ》風流に日を送りて、何の不足もあらざる身なるに、月の如くその顔《かんばせ》は一片の雲に蔽《おお》われて晴るることなし。これ母親の死を悲《かなし》み別離《わかれ》に泣きし涙の今なお双頬《そうきょう》に懸《かか》れるを光陰の手も拭《ぬぐ》い去るあたわざるなりけり。
 読書、弾琴、月雪花、それらのものは一つとして憂愁を癒《いや》すに足らず、転《うた》た懐旧の媒《なかだち》となりぬ。ただ野田山の墳墓を掃《はら》いて、母上と呼びながら土に縋《すが》りて泣き伏すをば、此上無《こよな》き娯楽《たのしみ》として、お通は日課の如く参詣《さんけい》せり。
 七月の十五日は殊に魂祭《たままつり》の当日なれば、夕涼《ゆうすずみ》より家を出でて独り彼処《かしこ》に赴きけり。
 野田山に墓は多けれど詣来《もうでく》る者いと少なく墓|守《も》る法師もあらざれば、雑草|生茂《おいしげ》りて卒塔婆《そとば》倒れ断塚壊墳《だんちょうかいふん》[#「壊墳」は底本では「懐墳」]算を乱して、満目|転《うた》た荒涼たり。
 いつも
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