手にも立たざる幻影にさまで恐るゝことはあらじ、と白昼は何人《なんぴと》も爾《しか》く英雄になるぞかし。逢魔《あふま》が時《とき》の薄暗がりより漸次《しだい》に元気衰へつ、夜《よ》に入りて雨の降り出づるに薄ら淋しくなり増《まさ》りぬ。漫《そゞろ》に昨夜《さくや》を憶起《おもひおこ》して、転《うた》た恐怖の念に堪《た》へず、斯くと知らば日の中《うち》に辞して斯塾を去るべかりし、よしなき好奇心に駆られし身は臆病神の犠牲となれり。
只管《ひたすら》洋灯《ランプ》を明《あか》くする、これせめてもの附元気《つけげんき》、机の前に端坐して石の如くに身を固め、心細くも唯《ただ》一人《ひとり》更け行く鐘を数へつゝ「早《はや》一時か」と呟く時、陰々として響き来《きた》る、怨むが如き婦人の泣声、柱を回《めぐ》り襖を潜《くゞ》り、壁に浸入《しみい》る如くなり。
南無三《なむさん》膝を立直《たてなほ》し、立ちもやらず坐りも果てで、魂《たましひ》宙に浮く処《ところ》に、沈んで聞こゆる婦人の声、「山田《やまだ》山田」と我が名を呼ぶ、※[#「口+何」、第4水準2−3−88]呀《あなや》と頭《かうべ》を掉傾《ふりか
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