ひそと謂へりしが耳許《みゝもと》に残り居《を》りて、語出《かたりい》でむと欲する都度《つど》、おのれ忘れしか、秘密を漏らさば、活《い》けては置かじと囁《ささや》く様《やう》にて、心済まねば謂ひも出でず、もしそれ胸中の疑※[#「石+鬼」、第4水準2−82−48]《ぎくわい》を吐きて智識の教《をしへ》を請《う》けむには、胸襟《きようきん》乃《すなは》ち春《はる》開《ひら》けて臆病|疾《とみ》に癒《い》えむと思へど、無形の猿轡《さるぐつわ》を食《は》まされて腹のふくるゝ苦しさよ、斯《か》くて幽玄の裡《うち》に数日《すじつ》を閲《けみ》せり。
 一夕《いつせき》、松川の誕辰《たんしん》なりとて奥座敷に予を招き、杯盤《はいばん》を排し酒肴《しゆかう》を薦《すゝ》む、献酬《けんしう》数回《すくわい》予は酒といふ大胆者《だいたんもの》に、幾分の力を得て積日《せきじつ》の屈託|稍《やゝ》散じぬ。談話《だんわ》の次手《ついで》に松川が塾の荒涼たるを歎《かこ》ちしより、予は前日藪を検《けん》せし一切《いつさい》を物語らむと、「実は……」と僅《わづか》に言懸《いひか》けける、正《まさ》に其時、啾々《しう/\
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