かうかいしじやう》珍《めづら》しからぬ現象《げんしやう》なれども、(一人坊主《ひとりばうず》)の前兆《ぜんてう》に因《よ》りて臆測《おくそく》せる乘客《じやうかく》は、恁《かゝ》る現象《げんしやう》を以《もつ》て推《すゐ》すベき、風雨《ふうう》の程度《ていど》よりも、寧《むし》ろ幾十倍《いくじふばい》の恐《おそれ》を抱《いだ》きて、渠《かれ》さへあらずば無事《ぶじ》なるべきにと、各々《おの/\》我《わが》命《いのち》を惜《をし》む餘《あまり》に、其《その》死《し》を欲《ほつ》するに至《いた》るまで、怨恨《うらみ》骨髓《こつずゐ》に徹《てつ》して、此《こ》の法華僧《ほつけそう》を憎《にく》み合《あ》へり。
不幸《ふかう》の僧《そう》はつく/″\此《この》状《さま》を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまは》し、慨然《がいぜん》として、
「あゝ、末世《まつせ》だ、情《なさけ》ない。皆《みんな》が皆《みんな》で、恁《か》う又《また》信仰《しんかう》の弱《よわ》いといふは何《ど》うしたものぢやな。此處《こゝ》で死《し》ぬものか、死《し》なないものか、自分《じぶん》で判斷《はんだん》
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