くご》もせずばなるまい。もし(否《いゝや》、惡《わる》い事《こと》をした覺《おぼえ》もないから、那樣《そんな》氣遣《きづかひ》は些《ちつ》とも無《な》い。)と恁《か》うありや、何《なん》の雨風《あめかぜ》ござらばござれぢや。喃《なあ》、那樣《そんな》ものではあるまいか。
して見《み》るとお前《まへ》さん方《がた》のおど/\するのは、心《こゝろ》に覺束《おぼつか》ない處《ところ》があるからで、罪《つみ》を造《つく》つた者《もの》と見《み》える。懺悔《ざんげ》さつしやい、發心《ほつしん》して坊主《ばうず》にでもならつしやい。(一人坊主《ひとりばうず》)だと言《い》うて騷《さわ》いでござるから丁度《ちやうど》可《い》い、誰《だれ》か私《わし》の弟子《でし》になりなさらんか、而《さう》して二三|人《にん》坊主《ぼうず》が出來《でき》りや、もう(一人坊主《ひとりばうず》)ではなくなるから、頓《とん》と氣《き》が濟《す》んで可《よ》くござらう。」
斯《か》く言《い》ひつゝ法華僧《ほつけそう》は哄然《こうぜん》と大笑《たいせう》して、其《その》まゝ其處《そこ》に肱枕《ひぢまくら》して、乘客等《の
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