僧《せいそう》と與《とも》にある者《もの》は、此《この》結縁《けちえん》に因《よ》りて、必《かなら》ず安全《あんぜん》なる航行《かうかう》をなし得《う》べしと信《しん》じたればなり。良《やゝ》時《とき》を經《へ》て乘客《じようかく》は、活佛《くわつぶつ》――今《いま》新《あら》たに然《し》か思《おも》へる――の周圍《しうゐ》に集《あつま》りて、一條《いちでう》の法話《ほふわ》を聞《き》かむことを希《こひねが》へり。漸《やうや》く健康《けんかう》を囘復《くわいふく》したる法華僧《ほつけそう》は、喜《よろこ》んで之《これ》を諾《だく》し、打咳《うちしはぶ》きつゝ語出《かたりいだ》しぬ。
「私《わし》は一體《いつたい》京都《きやうと》の者《もの》で、毎度《まいど》此《こ》の金澤《かなざは》から越中《ゑつちう》の方《はう》へ出懸《でか》けるが、一|度《ど》ある事《こと》は二|度《ど》とやら、船《ふね》で(一人坊主《ひとりばうず》)になつて、乘合《のりあひ》の衆《しう》に嫌《きら》はれるのは今度《こんど》がこれで二|度目《どめ》でござる。今《いま》から二三|年前《ねんまへ》のこと、其時《そのとき》は、船《ふね》の出懸《でが》けから暴風雨模樣《あれもやう》でな、風《かぜ》も吹《ふ》く、雨《あめ》も降《ふ》る。敦賀《つるが》の宿《やど》で逡巡《しりごみ》して、逗留《とうりう》した者《もの》が七|分《ぶ》あつて、乘《の》つたのはまあ三|分《ぶ》ぢやつた。私《わし》も其時分《そのじぶん》は果敢《はか》ない者《もの》で、然《さう》云《い》ふ天氣《てんき》に船《ふね》に乘《の》るのは、實《じつ》は二《に》の足《あし》の方《はう》であつたが。出家《しゆつけ》の身《み》で生命《いのち》を惜《をし》むかと、人《ひと》の思《おも》はくも恥《はづ》かしくて、怯氣々々《びく/\》もので乘込《のりこ》みましたぢや。さて段々《だん/\》船《ふね》の進《すゝ》むほど、風《かぜ》は荒《あら》くなる、波《なみ》は荒《あ》れる、船《ふね》は搖《ゆ》れる。其《その》又《また》搖《ゆ》れ方《かた》と謂《い》うたら一通《ひととほり》でなかつたので、吐《は》くやら、呻《うめ》くやら、大苦《おほくるし》みで正體《しやうたい》ない者《もの》が却《かへ》つて可羨《うらやま》しいくらゐ、と云《い》ふのは、氣《き》の確《たしか》なものほど、生命《いのち》が案《あん》じられるでな、船《ふね》が恁《か》うぐつと傾《かたむ》く度《たび》に、はツ/\と冷《つめた》い汗《あせ》が出《で》る。さてはや、念佛《ねんぶつ》、題目《だいもく》、大聲《おほごゑ》に鯨波《とき》の聲《こゑ》を揚《あ》げて唸《うな》つて居《ゐ》たが、やがて其《それ》も蚊《か》の鳴《な》くやうに弱《よわ》つてしまふ。取亂《とりみだ》さぬ者《もの》は一人《ひとり》もない。
恁《かう》云《い》ふ私《わし》が矢張《やはり》その、おい/\泣《な》いた連中《れんぢう》でな、面目《めんぼく》もないこと。
昔《むかし》彼《か》の文覺《もんがく》と云《い》ふ荒法師《あらほふし》は、佐渡《さど》へ流《なが》される船路《みち》で、暴風雨《あれ》に會《あ》つたが、船頭水夫共《せんどうかこども》が目《め》の色《いろ》を變《か》へて騷《さわ》ぐにも頓着《とんぢやく》なく、大《だい》の字《じ》なりに寢《ね》そべつて、雷《らい》の如《ごと》き高鼾《たかいびき》ぢや。
すると船頭共《せんどうども》が、「恁※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《こんな》惡僧《あくそう》が乘《の》つて居《ゐ》るから龍神《りうじん》が祟《たゝ》るのに違《ちが》ひない、疾《はや》く海《うみ》の中《なか》へ投込《なげこ》んで、此方人等《こちとら》は助《たす》からう。」と寄《よ》つて集《たか》つて文覺《もんがく》を手籠《てごめ》にしようとする。其時《そのとき》荒坊主《あらばうず》岸破《がば》と起上《おきあが》り、舳《へさき》に突立《つゝた》ツて、はつたと睨《ね》め付《つ》け、「いかに龍神《りうじん》不禮《ぶれい》をすな、此《この》船《ふね》には文覺《もんがく》と云《い》ふ法華《ほつけ》の行者《ぎやうじや》が乘《の》つて居《ゐ》るぞ!」と大音《だいおん》に叱《しか》り付《つ》けたと謂《い》ふ。
何《なん》と難有《ありがた》い信仰《しんかう》ではないか。強《つよ》い信仰《しんかう》を持《も》つて居《ゐ》る法師《ほふし》であつたから、到底《たうてい》龍神《りうじん》如《ごと》きがこの俺《おれ》を沈《しづ》めることは出來《でき》ない、波浪《はらう》不能沒《ふのうもつ》だ、と信《しん》じて疑《うたが》はぬぢやから、其處《そこ》でそれ自若《じじやく》として
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