かくまはるまはる、わが顔と一尺ばかりへだたりたる、まぢかき処《ところ》に松の木にすがりて見えたまへる、とばかりありて眼の前《さき》にうつくしき顔の※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《ろう》たけたるが莞爾《につこ》とあでやかに笑《え》みたまひしが、そののちは見えざりき。蘆は繁《しげ》く丈《たけ》よりも高き汀《みぎわ》に、船はとんとつきあたりぬ。

     ふるさと

 をぢはわれを扶《たす》けて船より出《い》だしつ。またその背《せな》を向けたり。
「泣くでねえ泣くでねえ。もうぢきに坊ツさまの家《うち》ぢや。」と慰めぬ。かなしさはそれにはあらねど、いふもかひなくてただ泣きたりしが、しだいに身のつかれを感じて、手も足も綿の如くうちかけらるるやう肩に負はれて、顔を垂れてぞともなはれし。見覚えある板塀《いたべい》のあたりに来て、日のややくれかかる時、老夫《おじ》はわれを抱《いだ》き下《おろ》して、溝のふちに立たせ、ほくほく打《うち》ゑみつゝ、慇懃《いんぎん》に会釈《えしやく》したり。
「おとなにしさつしやりませ。はい。」
 といひずてに何地《いずち》ゆくらむ。別れはそ
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