《みたらし》にて清めてみばやと寄りぬ。
 煤《すす》けたる行燈《あんどう》の横長きが一つ上にかかりて、ほととぎすの画《え》と句など書いたり。灯《ひ》をともしたるに、水はよく澄《す》みて、青き苔《こけ》むしたる石鉢《いしばち》の底もあきらかなり。手に掬《むす》ばむとしてうつむく時、思ひかけず見たるわが顔はそもそもいかなるものぞ。覚えず叫びしが心を籠《こ》めて、気を鎮《しず》めて、両の眼《まなこ》を拭《ぬぐ》ひ拭ひ、水に臨《のぞ》む。
 われにもあらでまたとは見るに忍びぬを、いかでわれかかるべき、必ず心の迷へるならむ、今こそ、今こそとわななきながら見直したる、肩をとらへて声ふるはし、
「お、お、千里《ちさと》。ええも、お前は。」と姉上ののたまふに、縋《すが》りつかまくみかへりたる、わが顔を見たまひしが、
「あれ!」
 といひて一足すさりて、
「違つてたよ、坊や。」とのみいひずてに衝《つ》と馳《は》せ去りたまへり。
 怪《あや》しき神のさまざまのことしてなぶるわと、あまりのことに腹立たしく、あしずりして泣きに泣きつつ、ひたばしりに追いかけぬ。捕へて何をかなさむとせし、そはわれ知らず。ひたすら
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