黒く透《す》いて、底は知れず、目前《めさき》へ押被《おっかぶ》さった大巌《おおいわ》の肚《はら》へ、ぴたりと船が吸寄《すいよ》せられた。岸は可恐《おそろし》く水は深い。
巌角《いわかど》に刻《きざ》を入れて、これを足懸《あしがか》りにして、こちらの堤防《どて》へ上《あが》るんですな。昨日《きのう》私が越した時は、先ず第一番の危難に逢うかと、膏汗《あぶらあせ》を流して漸々《ようよう》縋《すが》り着いて上《あが》ったですが、何、その時の親仁は……平気なものです。」
高坂は莞爾《にっこり》して、
「爪尖《つまさき》を懸けると更に苦《く》なく、負《おぶ》さった私の方がかえって目を塞《ふさ》いだばかりでした。
さて、些《ちっ》と歩行《ある》かっせえと、岸で下してくれました。それからは少しずつ次第に流《ながれ》に遠ざかって、田の畦《あぜ》三つばかり横に切れると、今度は赤土《あかつち》の一本道、両側にちらほら松の植わっている処《ところ》へ出ました。
六月の中ばとはいっても、この辺には珍《めずら》しい酷《ひど》く暑い日だと思いましたが、川を渡り切った時分から、戸室山《とむろやま》が雲を吐いて、
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