ぎ》って顕《あらわ》るる度《たび》に、娘は私を背後《うしろ》に庇《かば》うて、その鎌を差翳《さしかざ》し、矗《すっく》と立つと、鎧《よろ》うた姫神《ひめがみ》のように頼母《たのも》しいにつけ、雲の消えるように路が開けてずんずんと。」
 時に高坂は布を断つが如き音を聞いて、唯《と》見ると、前へ立った、女の姿は、その肩あたりまで草隠《くさがく》れになったが、背後《うしろ》ざまに手を動かすに連《つ》れて、鋭《と》き鎌、磨ける玉の如く、弓形《ゆみなり》に出没して、歩行《ある》き歩行《ある》き掬切《すくいぎり》に、刃形《はがた》が上下《うえした》に動くと共に、丈《たけ》なす茅萱《ちがや》半《なか》ばから、凡《およ》そ一抱《ひとかかえ》ずつ、さっくと切れて、靡《なび》き伏して、隠れた土が歩一歩《ほいっぽ》、飛々《とびとび》に顕《あらわ》れて、五尺三尺一尺ずつ、前途《ゆくて》に渠《かれ》を導くのである。
 高坂は、悚然《ぞっ》として思わず手を挙《あ》げ、かつて婦《おんな》が我に為《な》したる如く伏拝《ふしおが》んで粛然《しゅくぜん》とした。
 その不意に立停《たちどま》ったのを、行悩《ゆきなや》んだと思ったらしい、花売《はなうり》は軽《かろ》く見返り、
「貴方《あなた》、もう些《ちっ》とでございますよ。」
「どうぞ。」といった高坂は今更ながら言葉さえ謹《つつし》んで、
「美女ヶ原に今もその花がありましょうか。」
「どうも身に染《し》むお話。どうぞ早く後《あと》をお聞《きか》せなさいまし、そしてその時、その花はござんしたか。」
「花は全くあったんですが、何時《いつ》もそうやって美女ヶ原へお出《いで》の事だから、御存じはないでしょうか。」
「参りましたら、その姉《ねえ》さんがなすったように、一所《いっしょ》にお探し申しましょう。」
「それでも私は月の出るのを待ちますつもり。その花籠《はなかご》にさえ一杯になったら、貴女《あなた》は日一杯に帰るでしょう。」
「否《いいえ》、いつも一人で往復《ゆきかえり》します時は、馴れて何とも思いませんでございましたけれども、※[#「(來+攵)/心」、第4水準2−12−72]《なま》じお連《つれ》が出来て見ますと、もう寂《さび》しくって一人では帰られませんから、御一所《ごいっしょ》にお帰りまでお待ち申しましょう。その代《かわり》どうぞ花籠の方はお手伝い下さいましな。」
「そりゃ、いうまでもありません。」
「そしてまあ、どんな処《ところ》にございましたえ。」
「それこそ夢のようだと、いうのだろうと思います。路《みち》すがら、そうやって、影のような障礙《しょうがい》に出遇って、今にも娘が血に染まって、私は取って殺さりょうと、幾度《いくたび》思ったか解《わか》りませんが、黄昏《たそがれ》と思う時、その美女ヶ原というのでしょう。凡《およそ》八|町《ちょう》四方ばかりの間、扇の地紙《じがみ》のような形に、空にも下にも充満《いっぱい》の花です。
 そのまま二人で跪《ひざまず》いて、娘がするように手を合せておりました。月が出ると、余り容易《たやす》い。つい目の前の芍薬《しゃくやく》の花の中に花片《はなびら》の形が変って、真紅《まっか》なのが唯《ただ》一輪。
 採って前髪《まえがみ》に押頂《おしいただ》いた時、私の頭《つむり》を撫《な》でながら、余《あまり》の嬉《うれ》しさ、娘ははらはらと落涙《らくるい》して、もう死ぬまで、この心を忘れてはなりませんと、私の頭《つむり》に挿《さ》させようとしましたけれども、髪は結んでないのですから、そこで娘が、自分の黒髪に挿しました。人の簪《かんざし》の花になっても、月影に色は真紅《しんく》だったです。
 母様《おっかさん》の御大病《ごたいびょう》、一刻も早くと、直《すぐ》に、美女ヶ原を後《あと》にしました
 引返す時は、苦《く》もなく、すらすらと下りられて、早や暁《あかつき》の鶏《とり》の声。
 嬉《うれ》しや人里も近いと思う、月が落ちて明方《あけがた》の闇を、向うから、洶々《どやどや》と四、五人|連《づれ》、松明《たいまつ》を挙《あ》げて近寄った。人可懐《ひとなつかし》くいそいそ寄ると、いずれも屈竟《くっきょう》な荒漢《あらおのこ》で。
 中《うち》に一人、見た事のある顔と、思い出した。黒婆《くろばば》が家に馬を繋いだ馬士《まご》で、その馬士、二人の姿を見ると、遁《に》がすなと突然《いきなり》、私を小脇に引抱《ひっかか》える、残った奴が三人四人で、ええ! という娘を手取足取《てとりあしとり》。
 何処《どこ》をどう、どの方角をどのくらい駈けたかまるで夢中です。
 やがて気が付くと、娘と二人で、大《おおき》な座敷の片隅に、馬士《まご》交《まじ》り七、八人に取巻かれて坐っていました。
 何百年か
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