の、炉《ろ》の縁《ふち》に、膝に手を置いて蹲《うずくま》っていた、十《とお》ばかりも年上らしいお媼《ばあ》さん。
 見兼ねたか、縁側《えんがわ》から摺《ず》って下《お》り、ごつごつ転がった石塊《いしころ》を跨《また》いで、藤棚を潜《くぐ》って顔を出したが、柔和《にゅうわ》な面相《おもざし》、色が白い。
 小児衆《こどもしゅう》小児衆、私《わし》が許《とこ》へござれ、と言う。疾《はや》く白媼《しろうば》が家《うち》へ行《ゆ》かっしゃい、借《かり》がなくば、此処《ここ》へ馬を繋ぐではないと、馬士《まご》は腰の胴乱《どうらん》に煙管《きせる》をぐっと突込《つッこ》んだ。
 そこで裸体《はだか》で手を曳《ひ》かれて、土間の隅を抜けて、隣家《となり》へ連込《つれこ》まれる時分には、鳶《とび》が鳴いて、遠くで大勢の人声、祭礼《まつり》の太鼓《たいこ》が聞えました。」
 高坂は打案《うちあん》じ、
「渡場《わたしば》からこちらは、一生私が忘れない処《ところ》なんだね、で今度来る時も、前《さき》の世の旅を二度する気で、松一本、橋一ツも心をつけて見たんだけれども、それらしい家もなく、柳の樹も分らない。それに今じゃ、三里ばかり向うを汽車が素通りにして行《ゆ》くようになったから、人通《ひとどおり》もなし。大方、その馬士《まご》も、老人《としより》も、もうこの世の者じゃあるまいと思う、私は何だかその人たちの、あのまま影を埋《うず》めた、丁《ちょう》どその上を、姉《ねえ》さん。」
 花売《はなうり》は後姿《うしろすがた》のまま引留《ひきと》められたようになって停《とま》った。
「貴女《あなた》と二人で歩行《ある》いているように思うですがね。」
「それからどう遊ばした、まあお話しなさいまし。」
 と静《しずか》に前へ。高坂も徐《おもむ》ろに、
「娘が来て世話をするまで、私《わし》には衣服《きもの》を着せる才覚もない。暑い時節じゃで、何ともなかろが、さぞ餒《ひもじ》かろうで、これでも食わっしゃれって。
 囲炉裡《いろり》の灰の中に、ぶすぶすと燻《くすぶ》っていたのを、抜き出してくれたのは、串《くし》に刺した茄子《なす》の焼いたんで。
 ぶくぶく樺色《かばいろ》に膨《ふく》れて、湯気《ゆげ》が立っていたです。
 生豆腐《なまどうふ》の手掴《てづかみ》に比べては、勿体《もったい》ない御料理と思った。それにくれるのが優《やさ》しげなお婆さん。
 地《つち》が性《しょう》に合うで好《よ》う出来るが、まだこの村でも初物《はつもの》じゃという、それを、空腹《すきばら》へ三つばかり頬張《ほおば》りました。熱い汁《つゆ》が下腹《したばら》へ、たらたらと染《し》みた処《ところ》から、一睡《ひとねむり》して目が覚めると、きやきや痛み出して、やがて吐くやら、瀉《くだ》すやら、尾籠《びろう》なお話だが七顛八倒《しちてんはっとう》。能《よく》も生きていられた事と、今でも思うです。しかし、もうその時は、命の親の、優しい手に抱かれていました。世にも綺麗《きれい》な娘で。
 人心地《ひとごこち》もなく苦しんだ目が、幽《かすか》に開《あ》いた時、初めて見た姿は、艶《つやや》かな黒髪《くろかみ》を、男のような髷《まげ》に結んで、緋縮緬《ひぢりめん》の襦袢《じゅばん》を片肌《かたはだ》脱いでいました。日が経《た》って医王山へ花を採りに、私の手を曳《ひ》いて、楼《たかどの》に朱の欄干《てすり》のある、温泉宿を忍んで裏口から朝月夜《あさづきよ》に、田圃道《たんぼみち》へ出た時は、中形《ちゅうがた》の浴衣《ゆかた》に襦子《しゅす》の帯をしめて、鎌を一挺、手拭《てぬぐい》にくるんでいたです。その間《あいだ》に、白媼《しろうば》の内《うち》を、私を膝に抱いて出た時は、髷《まげ》を唐輪《からわ》のように結《ゆ》って、胸には玉を飾って、丁《ちょう》ど天女《てんにょ》のような扮装《いでたち》をして、車を牛に曳かせたのに乗って、わいわいという群集《ぐんじゅ》の中を、通ったですが、村の者が交《かわ》る交《がわ》る高く傘を※[#「敬/手」、第3水準1−84−92]掛《さしか》けて練《ね》ったですね。
 村端《むらはずれ》で、寺に休むと、此処《ここ》で支度《したく》を替えて、多勢《おおぜい》が口々《くちぐち》に、御苦労、御苦労というのを聞棄《ききず》てに、娘は、一人の若い者に負《おんぶ》させた私にちょっと頬摺《ほおずり》をして、それから、石高路《いしだかみち》の坂を越して、賑《にぎや》かに二階屋《にかいや》の揃った中の、一番|屋《や》の棟《むね》の高い家へ入ったですが、私は唯《ただ》幽《かすか》に呻吟《うめ》いていたばかり。尤《もっと》も白姥《しろうば》の家に三晩《みばん》寝ました。その内も、娘は外へ出ては帰って来て
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